本丸厨話
保護者の作る2人分お夜食
「お腹空いた」
とは、我が来派が誇る大太刀、蛍丸の言葉である。
横向けで寝そべりながら肘をつき、そこに顎を乗せて何も返さずその言葉をやり過ごす。目の前で蛍丸の腹の虫が鳴る。ぐう、なんて可愛いものではなく、完全に腹が空の状態のぐうぐう音。なんでや。夕飯もめっちゃ食っとったやん。自分と同じ量の飯が綺麗に消えていたのを思い出す。
「俺も腹減ってきた」
「あかんで二人とも。寝る前に何や食べてもうたら豚さんなってまう」
国俊からも腹の音が鳴る。いつからそんな揃って食いしん坊キャラになったのか。面倒だが、今日のおやつは何だったろうかと思い出したところで、あんこぎっしりの饅頭を二人とも茶で流し込んでいた。カロリー過多。それを消費しきれるのが信じられない。
来派部屋は比較的夜に強い。粟田口はもう寝ている短刀が大半だろうが、国俊が夜戦メンバーに入る日は別として、基本日付を越えるくらいまで全員が起きている。しかしあと一時間もなく寝てしまうのだ。ここで無駄に動いたり食べたりするのは得策ではない。
「今日宴会してたよね」
「してたな。つまみ食いに行くか」
「次郎太刀おるやん。絡まれたら死んでまうで」
「あっ、いいこと思いついた」
ぱっ、と蛍丸の顔が明るくなる。めっちゃ可愛い。可愛いがしかし悪寒がする。大概においてこの話の流れから思いつくいいことは自分にとっては「いい」だけでは済まされない。その証拠にめっちゃこっちを見ている。つられて国俊までこっち向いてしまっている。
「キムチ炒飯」
「はい?」
食い気味で聞き返してしまう。畳に手をつき、こちらに身を寄せた蛍丸の目は輝き、キラキラと、自分を見ている。自分を見ているのだ。
「……なんなん」
「ねぇ国行、キムチ炒飯食べたい」
「はあ」
「うわー蛍、この時間にそんな名前出すなよ。腹減るだろ」
「国俊も食べたいよね。キムチ炒飯」
ね、と促される同意に国俊が頷く。自分を見てくる目が二人分になる。
「作って、国行」
ああ可愛い。かわいいだけに性質が悪い。
断固拒否なのだが、寝そべる体の上に二人ともが乗っかり、食べたい、お腹空いたとのたまうものだから、本当に面倒で、致し方なく立ち上がった。最後の抵抗でジト目気味に見下ろしても、二人とも嬉しそうに炒飯炒飯と言い続けるから、はあ、と溜息をついて部屋を出る羽目になる。
厨に誰かが居ればその人物に全てお任せしようと思っていた。この本丸には料理がある程度できる男士がいくらか居る。その誰かに二人を預け、自分はお先に失礼しようという算段だったのに。
「誰もいーひんやん」
厨に灯りはついているが、料理が出来るという加点を得る男士は見当たらなかった。厨隣の広間には確かに酒飲みが集まっていて、既に沈んだ影がちらほら出ているが、よくよく眺めれば卓の上にあるのは出来合いのものや常備菜からくすねた小鉢しかなく新しく作った様子はない。
「あかん、これ何か作り始めたら芋づる式に俺も俺もが湧いてくるパターンや。諦めよ。カップ麺でも食べ」
「えー、夜中に食べたらダメって言ったの国行じゃん。カップ麺はいいの」
「ええよ。ぷにぷにが増しても蛍やったらかわいがれる」
「カップ麺か……カップ麺もいいけどさぁ」
「ね、もう口がキムチ炒飯だよ。国行」
ぐいぐいと。寝巻であるスウェットの裾を掴まれる。ああ、だとか、うう、だとか、唸ったところで二人は頑として譲らず、なんなら冷蔵庫を開けてキムチと卵を取り出し始めた。後に引けないようにするつもりだろう。
「はあ……こういう張り切りせぇへんのが専売特許やのに」
「俺らの保護者も専売特許だろ」
返しに困るコメント。指だけで国俊の額を小突く。
溜息をつきつつ冷凍庫をあさる。男士数六十を超える大所帯となった今、大きな炊飯器で炊く米が中途半端に余ることがある。小分けに冷凍された冷や飯を二人分くすねて、ラップにくるんだままレンジの中へと放り込む。
「魚肉ソーセージ」
「異議なし!」
本当はかまぼこやら豚肉やらを入れたほうが美味いのだが、いまは少しでも早く眠ることに注力したい。
備蓄から取り出し、キムチと一緒に国俊に細かく切らせる。キムチを切るしゃくしゃくという音と、終わって、魚肉ソーセージがコロコロと小さくされていく。蛍はこういう細かいことが苦手であって、代わりに厨のすぐそこに設けられている菜園から青ネギを二、三本取ってくるように言う。
「一束じゃないの」
「二人分やし。別に入れんでもええくらいやで」
「入れる!」
飛び出していった蛍を見送り、レンジから温まったご飯を取り出す。
そしてこのあたりで何かを察した飲み会連中が厨を覗き込みに来るのだ。のしのしという重い足音で振り返らずとも分かった。
「おっ、いいもん作ってんな」
「明石が厨にいるなんて珍しいじゃないか。ねぇ、あたしらにも何か作っとくれよ」
酒でろれつがまろやかになった日本号と次郎太刀をねめつけ、肩をすくめて無言で断る。厨に戻った蛍が、二人を見て、わあ、と小さく息を飲んだ。
「ほんとに来た」
「だから言うたやん」
「ダメだよ。俺と国俊が注文したんだから」
「毒味してやるよ」
「国行は適当に飯作れるぜ。普段作らないだけで」
国俊が余計なことを言う。それが広まると厨当番の手伝いをさせられる確率が上がるのだからいけない。
「対象範囲は来派までや」
言って、卵をといた丼に米をあける。ざっくり混ぜ、フライパンにごま油を適当に垂らす。
丼の中をフライパンに投入し、米を離れさすために切るように炒める。火力最大のおかげでパチパチという音が厨に響き、味塩を少なめに振った。そして国俊に切らせたもろもろをさらに入れる。キムチの漬け液が、じゅ、と強く鳴った。米に絡めて赤く染めていき、腹を刺激するいい匂いが立ち上る。
キムチの匂い、というよりも、もはやニンニクだ。味付けは控えめにしたのだが、果たして深夜に食べるものではない。危うく自分の腹も鳴りそうだ。
使っている材料は既に火が通っているものがほとんどなのだから、ネギも追加し馴染ませる程度に炒め、最後に軽く胡椒を入れようとしたが、やめた。食べたらすぐに寝てもらわないと困る。次郎太刀があられもない溜息をつく。
「すごいいい匂いだよぉ。これで食べられないなんて酷じゃないか」
「厨来ぉへんかったらよかったですやん。散った散った」
「うーん」
さっき使った丼をざっくり洗いながら横で蛍が唸っている。キッチンペーパーで水けをぬぐい、自分に丼を寄越してから、まだ恨めし気に国俊へと絡む酔っぱらいに近寄っていく。
「一口だったらいいよ」
「ああん蛍丸、流石大太刀のよしみだ」
「俺にはくれねぇのか」
「うーん、じゃあ二人とも一口だけね」
しょうもないことになったと思う。匙を取り出して、フライパンの中身を一掬い取った。
「国俊ぃ」
「おう」
まな板と包丁を洗っていた国俊に匙を突き出す。まだ湯気の立つそれはふうふうと冷まされて、そのままぱくりと口に消える。
「薄ない」
「うめぇ」
「ほんならええか」
フライパンの中身を山盛りに丼へとあける。二人分の皿を用意する気力などない。匙を追加でもう一本さして、洗いものを片付け終わった国俊へと突き出した。
「ほれ。全部食べて片付けもせぇよ」
「やった! 蛍、食おうぜ」
ばたばたと騒がしく厨の中にある卓へつく。ちゃっかり大太刀と正三位も揃っている。自分はため息をつき、最小限に抑えた調理器具を洗って調味料やらを元の位置に戻した。換気扇のボタンを押す。悪あがきでしかない。明日の朝、歌仙兼定が「誰かキムチ食べただろう」と呆れる姿が目に浮かぶ。
「うまーい! あんたらの保護者さんいい仕事するじゃないか」
「いいアテだな。ざっくりした味付けがまたいい」
「それ、褒めてますのん」
「めちゃくちゃ褒めてるじゃないか! 今度はあたしらにも振舞っとくれよ! 酒飲み連中、長船除くとあんまり料理できないんだよねぇ」
「光栄ですけどお断りですわ」
のらりくらりと返している横では一つの丼から分け合って食べる蛍と国俊の姿がある。うまい、おいしい、とニコニコしているものだから、まあ、たまにはいいものかとも思う。
ただし来派に限る。こんな本丸の人数なんて、相手にしてたら刀ではなく食堂の主になってしまうだろう。
翌朝、元気に起き出した二人が歌仙の作った和食朝ごはんの米をしっかりおかわりしているのを見て、なんとなく、自分の顕現された身の年齢との差を感じてしまった。