本丸厨話
50人分の朝ごはん
早朝。今日は食事当番だ。
目覚まし時計を見る。まだ日も昇らない時間。それでも隣の布団は既に片づけられており、兄弟が朝の鍛錬に出たのが分かる。よくやるものだ。もぞもぞと布団の中で覚醒するのを渋った。時計の秒針が数字をなぞっていくのを眺める。二十七、まで数えてから、はあ、とため息をついて布団をめくる。
早起きは得意ではない。目覚まし時計は鳴ると隣の同田貫まで起きてしまうので、もうアラームはセットしていない。寝床を片づけ、内番服に着替え、布を被り、軽く部屋を掃除する。いつもはしないのだが、こうすることで今日は食事当番なのだと頭が徐々に切り替わっていく。
米と、豆腐とわかめの味噌汁、魚、人参はきんぴらにしよう。鍋ひとつだけ辛めに、残りはほどほどに。ここの所大量に収穫できる人参の使い道がもうネタ切れになってきている。欠伸をする。漬物は切っておいたものが残り少なくなっているのを昨日の晩確認したから、新しく出しておかなければ。青江にストックとして多めに切るよう頼もう。
部屋を出る。薄暗いといえる程じゃない。秋の朝五時はまさしく深夜だ。少し寒さを覚えて襤褸布を巻き付ける。
今日の出陣は鍛錬部隊と遠征部隊か。遠征の一部隊は近場に何度か出る予定だから、昼は戻って食べるとして、弁当は十八個必要になる。毎度ながらゾッとする数だろう。弁当箱の大きさもあるのだから、台所に行きがてら組み込まれたメンバーを確認しなければならない。
握り飯は二つで、菜漬と、うめぼしでいいか。種を取るのが面倒だが、どうせ寝坊してくる御手杵にさせよう。玉子焼き、は、なんだったか。ああ、この前薬研からマヨネーズとツナを入れるとうまいと聞いたんだった。量はどのくらいだったか。ツナ缶が足りればやってみるか。あとは唐揚げとウインナーと、海老でも揚げればいいか。隙間は、枝豆を焼いたのを追加で混ぜて人参のきんぴらで埋めよう。どうせ肉と米があれば十分だ。
本丸でのお昼は飯を握らなくていいが数の暴力だ。生姜焼きでいいか。この前食べたの一週間よりは前だったよな。もう出しても文句ないだろう。人参の細切りと玉子を炒めたの。漬物。もどすのが面倒だがひじきと枝豆を煮るか。そっちにも少し人参を入れよう。あとは揚げとねぎの味噌汁。
「おはよう」
「寒ぅ、俺も布ン中入れてほしかよ……」
脇差部屋と短刀部屋から合流したのか、にっかり青江と博多藤四郎が、信濃藤四郎の手を引きながら現れる。全員が食事当番だ。マフラーに顔を埋めて半分寝ているような信濃に少し笑ってしまう。
食堂横の掲示板を見る。今日の出陣予定から弁当箱の数を確認する。炊事場から米が炊ける音がした。見渡すが、やはり御手杵は寝坊したらしい。
「いつもンこつやね」
呆れた風に博多が言う。
今日は全員が洋装だから、エプロンを着け、袖を捲り、手を洗った。俺はかぶってきた襤褸を脱ぐ。流石に調理には向かないだろう。
その間に今日のメニューを伝える。
「晩御飯は?」
「昼に考える」
信濃の質問に答えて、調理台にまな板を用意する。早速短刀の二人が大量の人参を切りはじめる。
「青江」
「はいはい」
寸胴をコンロに乗せる。鍋に水を入れるところまで手伝い、火をかけてからは青江に頼んだ。並べられた炊飯器へと向かう。
業務用の三升炊きが二台。全部で六升。もう蒸らし終えただろうから混ぜねばならない。
「頑張って」
青江が笑う。名の通りではなく、どちらかというと揶揄いが強い。しゃもじを手に蓋を開けた。一気に蒸気が立ち上る。
米を返すのが一苦労なのだ。それも熱さを理由に打刀以上の刀種が担当することになっている。生憎といまは俺しかいない。
腕を蒸気で濡らしながらなんとか終えて、水で肌を冷やしているところへようやく御手杵が入ってくる。歩いてきた。いい度胸だろう。だがもうこれが常なのだから怒るのも飽きてしまっている。
「悪ぃ、今日当番だったわ」
「っか~、とろかねえ」
「歌仙くんなら主菜抜きだったろうに」
「御手杵さん、袖落ちちゃったから捲って」
「おう」
信濃の袖を捲り、邪魔になりはじめたマフラーを取ってやってから、御手杵が俺のところに来る。
「何すればいいんだ?」
「あんたが来たということは、蜻蛉切もいるんだろう。向こうには悪いが卓を並べてくれ」
「はは、バレてた。了解、……蜻蛉切ー」
炊事場から食堂につながる障子を引いて、身をかがめながら向こう側へと消えていく。終わったら戻れよ、と言えば、ひらひらと手を振られた。ため息をつき、青江の隣でコンロにフライパンを置く。二人がかりで切っている人参の第一陣を投入した。隣で寸胴がようやく沸騰を始めた。
「まるで炊き出しのようだね」
大量の人参を見ながら青江が笑う。あとどれくらい切るのか博多が問うから、まだまだあるぞと言えば信濃がうめき声を上げた。
「卓出したぞ」
「胡麻擦ってくれ」
「了解」
「白いほうだぞ」
「白いほうな」
上付の棚からすり鉢を取り出した御手杵はその中を覗き込み、ん、と声を漏らす。
「棒無いけど」
「ふふ、棒、ね。引き出しの中だよ」
青江に言われてすりこ木を手に入れた御手杵が、またきょろきょろとするから
「乾物は右の棚ー」
「そうだっけか? よく覚えてるなぁ信濃は」
人参を切るのに飽きてきた信濃が教えてやる。あったあったと身を起こして、御手杵が俺の隣に立った。
「どんくらい擦る?」
「止めてやるから少しずつ鉢に入れろ」
サラサラと白ごまがすり鉢に溜まる。
「……そこまで。残りは棚に戻せ。ここで擦ってくれ。どうせすぐ使う」
「へいへい」
「立ってやれよ」
遅れてきておいて座れると思ったら大間違いだ。
炒めた人参に調味料を加え、馴染ませ、横で擦る御手杵のすり鉢から胡麻を一掴み取る。ふりかけ、再度炒めて、擦り終ったらそこに置いてくれと、二人が人参を積んでいく調理台を示した。ついでにうんざりし始めている信濃に魚の下ごしらえを始めてもらう。博多には引き続き人参と、数本の唐辛子を頼んだ。
ごりごりという音を聞きながらきんぴらを味見する。こんなもんだろう。大きな調理用バットを取り出す。フライパンの中身をあけ、新しく人参を入れる。
「それ何回やんの?」
「全部終わるまでだ」
出汁を取り終えた青江が火を止める。すりこ木を置いた御手杵に手伝わせ二人掛かりで寸胴を下ろす。炊事場には調理台と別に大きな座卓が用意されており、そこで味噌や具材を入れることになっている。朝はコンロが足りないのだ。このまま弁当の準備もしなければならない。
「そのまま青江を手伝ってくれ」
言って、三口あるコンロにフライパンを並べる。寸胴があると二口しか使えなくて困る。
さっきバットにあけた分を再度火にかけ、博多に切らせた唐辛子を合わせる。太めにしてもらったから辛すぎることもないだろう。
もう一つのフライパンは深めで、そこに油を注ぎいれる。昨日の晩に下ごしらえを済ませておいた鶏肉を出す。
人参のきんぴら、最後の分を投入する。俺の横に御手杵がくる。
「なんだ」
「わかめ入れたら仕事なくなった」
「魚、……は、信濃と博多に任せるか。こっち変わってくれ。あんた揚げ物はできないだろう」
フライパンを入れ替え、端で辛めのきんぴらを炒めてもらう。馴染んだところで止めさせ、バットにあけて、そのままフライパンを洗うよう頼む。これから恐ろしい量の魚を焼かなければならない。
奥の一口で人参を炒めながら、手前の一口で唐揚げを作る。油は肉の下半分を超える程度しか入れていない。熱するのに時間がかかっていては意味がないのだ。
フライパンで揚げられるみっしりと並んだ唐揚げを見て、方々から邪な視線を感じた。
「……一つずつだぞ」
「儲け!」
「ええ、一個なの?」
「でかいのくれよ」
はあ、と息を吐きながら人参を炒める。こんなに消費してもまだまだあるのだ。植えるときに何も考えが無さすぎた。
膨大な量の豆腐を切り終えた青江が漬物を冷蔵庫から取り出している。切られている分を見て量の不安を察してくれたらしい。助かる。
「魚は終わったか?」
「ちょーっと加減間違えたやつもあるばってん、よかね」
「構わない」
その皿が主に行かなければいい。おそらく伝わっただろう。
洗い終えたフライパンにクッキングシートを敷く。燭台切がこうすると焦げ付かないと調べたらしく、それ以来魚を焼くときは暗黙の了解になった。なくてもいいのだが、今は御手杵に手伝ってもらわねばならない。この男がまめにフライパンから油をふき取るような真似が出来るはずもない。
塩が馴染んだものから、フライパンに並べていく。御手杵を立たせているが、三つのフライパンの具合は全て俺が見ている。その背後で博多と信濃が調理用テーブルを片づけ始め、副菜用の大量の小鉢を取り出したり、おひつを用意している。本当に御手杵以外は手際がいい。
「まだか?」
「まだだ」
ヒマそうにしている御手杵に、人参を炒めるようにいい、少ししてからそれもバットにあけて再び洗い物に駆りだした。
音を聞く。魚の具合はいいか。さくさくとひっくり返す。盆にのせたぶんの小鉢がきんぴらと漬物で埋まったらしく、ようやく一息ついた博多が腹減ったとぼやいた。俺も減った。外も明るくなっている。青江が俺を見た。
「そろそろおひつに移そうか」
「頼む」
フライパン一面分の鮭が焼きあがり、早朝の鍛錬に出ていた面々が来る頃合いだった。御手杵を再度青江の手伝いとして引き渡した。
御手杵が炊飯器から、湯気の立つ白米をおひつにたっぷりよそう。それを博多が抱え、障子を潜ると向こうで長曽祢虎徹と山伏の兄弟の声がした。信濃が茶碗をもってそれを追う。小鉢が積まれた盆は危ないので短刀が運べないことになっている。御手杵は器用に重ねて運んでいった。
「とりあえず二つだね」
盆に汁椀を乗せて青江が言う。角皿に二つ焼鮭を盛り、盆に乗せておくと、戻った信濃が持っていった。
唐揚げを取り出す。残りを新たに熱い油に入れる。大概の作業は一度で終わらない。二つのフライパンが傍で魚を焼き続けるのを眺めながら、やれやれと肩を少しだけ回した。
徐々に食堂が騒がしくなる。食事当番は並行作業が多いため、一番最後か、合間を見て炊事場で食べることが多い。粟田口の面々は大概途中で食べに行かせるが、今回はつまみ食いをするという使命がある。味噌汁を運び、おひつを運び、戻った信濃と博多がいそいそと食事の用意を始める。それに小鉢を運び終えた御手杵も乗じている。
「青江、まだ手伝ってほしいんだが」
「構わないよ」
「助かる。三人は先に食べててくれ」
短刀は火を使えない。保護者と共に湯を沸かしたり菓子を作ったり程度は許されているが、さすがに揚げ物や通常の調理までは手伝わせることができない。これはうちの審神者が課したもので、お陰で短刀しかいなかった時分はだいぶ苦労した。
三人分の角皿に、焼鮭と、ほどよく冷めた唐揚げを一つずつ乗せる。嬉しそうに三人が手を合わせた。食器の音が鳴る。
海老は細くて一度にたくさん揚げられて助かる。揚げ終えた油を金属容器に注ぎいれ、油まみれのフライパンをキッチンペーパーで拭う。未来の道具は大概使いやすい。そのままもう一度コンロにかけ、切れ目を入れたウインナーを投入する。
俺の横では魚を焼く最後のフライパンを眺めながら、青江が卵を大量に割っている。例のツナ缶を入れる玉子焼きを燭台切と作ったことがあるというから任せることにした。大き目の玉子焼き器がコンロにかけられる。かしゃかしゃと菜箸が鳴る。
「お味噌汁あります?」
食堂から鯰尾が顔を出す。そして目ざとく皿の上のおかずを見つけた。
「あっ! 唐揚げだ!」
「ずお兄でもあげないよ」
に、と笑う信濃に、鯰尾がどこか自慢げな顔になる。
「今日の弁当のおかずだろ? 俺今日遠征だから食べられるんだなぁこれが」
程度の低い張り合いだった。しかし、確かに唐揚げはうまい。鯰尾はこちらの様子を見て、貰いますねと炊事場に入ると、味噌汁を自分で椀によそっていく。
ぱちぱちと音を立てるウインナーを皿にあける。そのフライパンは濡れ布巾で冷ましてから流しに置いて、焼き終えた魚を取り出した方のフライパンを軽く洗う。クッキングシートはいつだって仕事をする。横の玉子焼き器から、じゅわ、と卵の焼ける音がする。
「唐揚げ、山姥切さんが?」
突然隣から声をかけられる。驚いて反応が遅れた。
「……ああ、そうだが」
「やった、絶対おいしいやつだ! 楽しみ!」
そう言って出て行く鯰尾を見送る。ざばざばと蛇口から水があふれてくる。
「良かったねぇ」
にっこりと。名に合わず朗らかに青江が笑う。
洗い終えたフライパンの水気を拭い、鞘ごと洗って塩をまぶしておいた枝豆を入れる。弱火に蓋をして蒸し焼にする。
放置する間に炊飯器からおひつへいくらか移し、座卓に置いた。もう味噌汁は少なくなっているのだから俺一人でも寸胴を脇に避けることができる。
配膳が落ち着き手があいた都度御手杵に種を取らせておいた梅干と、塩、細かく刻んだ菜漬を用意した。ここから先は完全に作業になる。
手を洗い直し、ざっくりと目分量で握り飯を作っていく。弁当箱に詰めた方が楽なのだが、前に箸を忘れて大変なことになって以来、とりあえず飯は握るという取り決めが出来ていた。面倒なのだが、食べるときもその方が楽なのは身をもって知っている。食べる刀種の数を計算しながら小さいものも作っていく。
「これ、ひっくり返してしまうよ」
「ああ。頼んだ」
枝豆も青江に任せていいだろう。蓋を外し、ややあって再度乗せる音と、新しく卵を焼く音がする。じゅわ、という音を聞いて御手杵がそちらを見たらしい。
「なぁ、端っこ食いたい」
食い意地に青江が笑ったようだった。
先に食べ終えた博多が、握り飯を手伝ってくれる。冷ましたものをアルミホイルで包ませる。信濃と御手杵も終え、調理用のテーブルを開けさせると、青江の指示のもと弁当箱が用意された。大きな弁当箱を三つ、中を六つ、小が九つ並べられる。壮観だろう。座卓に座る俺たちからは見えないのだが。
「こんな感じかな」
「全部これで詰めんのか? 俺出来ないと思うぞ」
早々に逃げを見せる御手杵を呼ぶ。握り終わり、あとは冷ましてホイルで包むだけになった握り飯のほうを頼み、俺がおかずを詰めるのを手伝うことにする。
「根性なしや」
「弁当詰める根性は持ってないな」
指摘されても笑っている。手を洗え、と言えば、はいはいと緩い返事をされた。
任せておいた焼き枝豆は全て鞘から取り出され、人参のきんぴらに混ぜ込まれている。玉子焼き、唐揚げ、ウインナー、エビフライと、 青江の詰めたひとつを見本に、残る弁当箱も同じように詰めていく。
「数はこれで合ってるかな」
「ああ。そのつもりだった。上手いもんだな」
「これフタするのはまだってこと?」
「冷めてからだ」
信濃の言葉にうなずく。三人がかりでも一仕事だった。その間に食堂は人気が無くなり、卓は有志により片付けられたようだった。
冷ます間もテーブルと座卓は占拠されている。その間に食器洗いの当番で訪れた乱と陸奥守が弁当を覗いて喜んでいた。食器は多すぎるので炊事場外の井戸で洗うことになっている。タライを運ぶだけでがしゃがしゃと大仰な音が鳴る。
「そろそろ僕たちも食べようか」
言われ、火にかけるのも億劫で冷めたままの味噌汁をよそう。少し残ったが御手杵が飲むだろう。米と、焼鮭と唐揚げ、小鉢を盆に乗せ食堂へと向かう。
卓は片づけられているが、食堂では必ず一つは隅に置いておくことになっている。そこに運んで、座る前に一度炊事場に戻った。襤褸をかぶって肩口で結び、食堂に入り直すと、俺を見て青江が苦笑する。
「何かと思えば」
「……何がおかしい」
「さっきまで平気そうだったのにねぇ」
二人で冷めた朝飯を食べる。焼鮭は程よく焦げ、唐揚げがうまいこと揚がっている。味噌汁もいい塩梅だった。
「うまいな」
「おいしいね」
炊事場から調理器具を洗い、乾拭きする音が聞こえる。ここまでは食事当番の分担だ。あとは弁当のふたを閉めて、風呂敷でそれぞれ握り飯とともに包み、鍛錬部隊と遠征部隊に渡せば終わる。時計を見る。八時半だ。
「君、食べ終わったら少し休むといいよ」
「……そうもいかない」
「あとは僕たちだけでも出来るしね。お昼用の炊飯器は御手杵にセットさせるさ」
重労働だろう。思わず笑う。気が抜けた声で、そうだな、と呟くと、青江も、そうだよ、と答えた。
昼はもう決まっている。味噌汁をすすりながら考える。さて、晩飯は何にしようか。