BD910

世界に生まれる

20

「何かあったな」
とは、目敏い幼馴染の一言目である。
「その様子じゃルーク絡みか」
「何の自信を持ってそのように仰ることが出来るのか甚だ疑問ですが」
「何があった」
に、と笑いながら、私にだけ聞こえる声量で訊ねてくる。
軍の研究施設だった。新しい機関の試作品を視察するためにピオニーが訪れている。鼻たれが嬉々として先ほどから披露している解説だが、その内容は既に渡っている資料に記載されているものなので無視をする。先日指摘した改良点をこの期間でぎりぎり及第点までクリアしてきたのは良しとすべきだろう。後日ガイでも寄越せば、昨日新たに指摘した風力式について二人で機関話としゃれこむのかもしれない。
そんな職場でこちらの私生活に関することに突っ込んでくるあたり我らが頂は趣味が悪い。ここにルークを呼べと命令しないだけ空気を読んでいると思うべきだろうか。下手な返事をしてしまえば以前のように私の邸に押しかけていくだろう。溜息をついて眼鏡を押し上げる。ある程度は話してしまった方が身の危険が回避できるか。
「互いの腹の底を確認し合ったただけですよ」
「なんだ、ようやく告白したのか」
「今の返答でよくその解釈になりますね」
試運転は上手くいっているようだった。今回はグランコクマ近くにある海流の早いエリアに取り付けた水力式エネルギー受動装置からの変換値観測がメインとなっている。想定していたエネルギー量は十分確保できるだろう。この試作品と同等のものを作り出す費用は。その捻出先は。季節流による振れ幅の範囲、海洋への影響は。必要な台数は。設置場所は。
「人生の半分以上お前といるんだ。それくらいわかるさ」
無駄に肩を組まれる。それを振りほどいても良かったのだが、我々が話を聞いていないことに気づいた鼻たれが怒り始めたのを見るのが胸のすく思いで、仕方がないのでそのままにしておくことにする。
「余計なことを彼に吹き込むのは止めてください」
「余計な事じゃないだろ。お前が言わないなら誰も気づかないんだぞ」
「それで構わないと言っているんです」
「俺が構うのさ」
研究員からの呼びかけにピオニーが答えて私から離れる。おおよそ先ほど考えていたことを確認と提案されているのだろう。海と風が主なエネルギー源になるだろうか。受動機関を配置する場所とその変換機関、そこから人々が生活する場所まで行き渡らせる経路も整えなければならない。やることはいつまでも山と積まれている。
「いい感じだな。少々手間取りそうなポイントはあるが、大体はうまく出来ている」
戻りながら朗らかにそう言ったピオニーににっこりと笑いかける。
「であれば明日から二日ほど休暇をいただきたいのですが、よろしいですね」
「何?」
あまり聞いたことのない声だった。ピオニーが目を見開き私を見ている。その後ろにいた研究員も、意図せず聞こえたのだろう、思わずという風にこちらを振り返った。
「休暇? お前がか」
「おや、そんな労働環境が粗悪であるような言動は職員の前では差し控えて頂けますと助かります」
「違う。お前が自主的に休暇を取るのが珍しいだけだろうが。いつもこっちはお前を休ませるために王命まで使う覚悟でいるんだぞ」
「そのような覚悟は不要だとお伝えしているでしょう。必要であれば休みます。それが今回直近だっただけで」
「ほう」
にやり、と嫌な笑い方をするピオニーに私も笑いを深める。
「ちなみにガイラルディア伯爵もお借りしますよ」
「何だと」
所詮私とルークの事を勘ぐっての笑みだったのだろう。ピオニーは研究員たちを周囲から少し離して振り返る。
「何かあったのか」
「何もありませんよ。ただ、まだ会っていない最後の旅の仲間に会いに行くだけです」
「……誰だそれは。もう全員回っただろう」
「いいえ。とにかく明日から私用で休みます。外出のため仕事も持ち帰りませんので、相当な急を要すること以外は呼び立てないでくださいますようお願い申し上げます」
「分かった分かった。それで。どこに行くんだ。場所は教えろよ、まさか国外じゃないだろうな」
両手を後ろに回して肩を竦める。
「マルクト領エンゲーブですよ」

ルークには朝の内に話していた。休暇を取る事。エンゲーブへ行くこと。ガイにも同様に使いを出している。朝の事であるからまだ返事は来ていなかったが、恐らく彼の事だから断りはしないだろう。
「エンゲーブ? ……っ、ミュウか?」
すぐに思い当たったらしい旅の仲間であったチーグルの名を口にした途端、一瞬で驚きと高揚が表情に出る。分かりやすいものだ。私は鏡で身なりを整えながら軍服の襟を払う。
「まだ彼には貴方が帰還したことを伝えられていません。仲間外れも良くないでしょう」
「あいつチーグルの森に帰れたのか」
「この星を救う手助けをしたことでお咎めは破棄されたそうです。生活域を変えていなければ今もチーグルの森にいるはずですよ」
「……」
旅の折には乱暴な扱いをしている姿もあったが、何かと悪態を吐きながらもルークはあのチーグルを気に入っていた。もしも彼が生きる場所をマルクト以外と決めた時には、最後の手向として会わせるつもりでもあった。
「明日の朝から出かけて、ガイも連れてエンゲーブへ向かいます。夕方頃着くでしょうから一泊して明朝チーグルの森へ向かいます。野生モンスターも最近増えたと聞きますから」
「エンゲーブ、無事なのか」
「時期に合わせて駐屯軍を配備しています。今は繁殖期の終わりなのでそれが過ぎれば撤退するでしょうが、聞き及んでいる情報の上では問題ありませんよ」
「そっか……良かった」
朝はそれだけを話して終わった。果たして今回の二日の休暇にガイが含まれているのが、私と二人きりになりづらくなるような配慮であると気づいているかは定かではない。単純にガイも旅の仲間なのだから不思議はなかった。ルークは先日の告白から以降、私と二人きりになると落ち着かない様子を見せ続けている。
意識されているのだと思えばあまり覚えのない心持ちになる。嬉しいのか、後悔か。ようやく私に怯えなくなった子供は、今度は別な意味で私を警戒しているようだった。
私はといえば、特に何も変えていない。あの時も告げたように、彼に伝えようと伝えまいと態度を変容させるつもりはなかった。どう変えるべきかも定まらない。ならば今まで通り、彼を揶揄い、裏で手を回す方が性に合っている。
昼過ぎにガイから返信があった。二つ返事の了承で、そういえば彼はルークの様子に気づくだろうかと考える。その時はその時だ。どうせ暴かれるのはルークの態度によってだろう。
私が二日の休暇を取る話は小波のように研究所内で知れ渡っていった。確かに休暇を意図的に取ることは少ないが、他に話題がないものかと少々呆れもする。
邸に戻れば、ガイからの返信はこちらにも届いていたようでルークが嬉々として私に報告してきた。幼いと思う。だが口にはしなかった。
「ソーサラーリングはどうなったんだ?」
軽めにした夕食の席でルークが訊ねてくる。私は手にしたグラスをテーブルへと置く。
「旅の終わりにチーグル族の長老へとお返ししました。あれはユリアからチーグル族への贈り物ですから」
「じゃああいつもミュウミュウしか言えないのか」
「まあ、そうなるでしょうね」
食事を再開する。最近のルークは食欲も戻ったようで、段々と一回の食事量が増えている。良い傾向だった。不定期にガイとの手合わせをする話も出ているのだから、体調もより安定していくだろう。
「ミュウに会いに行くのも、何か裏で手を回したのか?」
随分な言いようだと思う。私は心外だと口元だけに笑みを浮かべる。
「いいえ、特には。驚くミュウが見れるのが関の山ですよ」

翌朝。迎えに行くと伝えていたガイが自ら訪ねてきたことで手間が省け、そのまま邸から馬車に乗る。酔い止めは念のため飲ませておいた。だが車内ではガイとの会話のお陰か、馬車での長い旅程もそれほど苦ではなさそうに見えた。
昼も遅く過ぎた頃にエンゲーブへと着く。この時間からチーグルの森に行くのは時期が良くない。そのために一泊する予定で訪れている。
村代表のローズ宅で私が話している間、ルークはガイと二人で四年前とは少々変化のあったエンゲーブの村を探索に出ていった。
「お久しぶりです」
「お会いできて嬉しいですよ、中将。今年はモンスターの数が去年より多くて。駐屯軍には助けられてます」
「今年は長雨がありましたからね。森から出てくるモンスターも増加傾向にあると報告を受けています。駐屯期間を例年より延ばそうと思うのですが負担はありませんか」
「とんでもない。こちらこそ依頼させて頂こうと話し合いで決まったところだったんですよ」
結局仕事に関わる話が殆どで、歓談もそこそこにローズの家を出る。既に宿は取っており、用意された部屋にルークとガイも丁度戻ってきていた。その手には幾らかの食材がある。私は両手を背後に回して小首を傾げる。
「助かります。食事の用意までしていただけるとは」
「サラッと逃げたな……」
「まあ最初からそのつもりさ。俺でよければ振舞わせてもらうよ」
「俺も手伝う」
「頑張ってくださいね。お二人とも」
茶化して言えばルークに眇めた目で見られる。男三人で調理場を借りて並んでいる方がぞっとするだろう。二人と再び離れている間、コンタミネーションを解いて槍の手入れをする。明日、チーグルの森に入れば多少の戦闘は否めないだろう。ホーリーボトルとガイがいれば問題ないとも言えるが、ルークは視界が片目となっているのだし、自分の身程度守るつもりはある。
簡単な食事を済ませ、三台並ぶベッドの真ん中はルークが陣取った。二人も自分の武器の手入れを始める。夜になればルークは日記を書き始め、その装丁をガイに褒められては嬉しそうに笑っていた。
まだ体力が完全に戻っていないのか、疲れからか、一番に寝入ったのはルークだった。ガイがアイテムの確認をしている。私は手持ち無沙汰に持ち込んだ技術書を読んでいる。
「綺麗な日記帳だったな。ペンもいい趣味だ」
不意に話しかけられ、栞紐を挟みガイを見た。アイテムの確認は済んだらしい。ベッド端に腰掛け、眠るルークを見、私へと視線を移してくる。
「旦那が用意してくれたんだって?」
「選別したのはうちの使用人ですよ。ペール殿といい、歳上に好かれやすい性質のようですね」
「じゃあインクやペンの色はわざとかもな」
ルークがサイドテーブルに置いた荷物鞄を見る。見えはしないが、その中に仕舞われた日記帳とペンを思い浮かべる。
「旦那の名前の宝石が同じ色だろう」
私を指差しながら言う。気障な台詞が随分と似合う男だった。私が口だけで笑って見せれば、ガイは困ったように笑い返す。
「ルークは気づいてないかもだけどな」
真意は私の使用人の中にある。しかしルークが気づいたとして私から何かを伝えるつもりはなかった。そしてそれはガイも同じなのだろう。それでなければ今この機に話しかける理由がない。
そも、翡翠には緑以外の色もあるのだ。目の前にあるモチーフに沿ったと考える方が無難といえる。
「お好きに受け取ってください」
「年々旦那は手強くなるな」
「おや、褒められてしまいましたね」
「よく言うぜ」
改めて笑い、ガイも寝支度を整えておやすみと声をかけられる。ルークの端々には彼の教育が見え隠れする。かつてのファブレ家の軟禁部屋で、少しでも多く日常に動きをと思えば、僅かな挨拶も貴重だったのかもしれない。本を閉じて明かりを消す。二人分の静かな寝息が聞こえるまで私は目を瞑っていた。

朝から子供は機嫌良く目覚めていた。ローズに帰りの馬車の手配を頼み、三人でチーグルの森へと向かう。朝露で湿る地面を踏みながら、ホーリーボトルでモンスターとの戦闘を出来るだけ避けて歩く。この地域の種族であればルークも問題なく戦えるだろうが、不要な消耗はすべきではない。
川を上り、森の奥へと進めば、開けた場所に見上げるほどの大樹が聳え立っている。周囲に散っているのはチーグルの個体で、久しぶりに見たその様子にルークが思わず笑っていた。
「全然変わらないな」
「そうだな。早速だが、長老殿に挨拶に行くか」
ガイの促しに首肯してルークが木の虚へと向かう。それに続く私たちを、木の外にいるチーグル達が物珍しそうに眺めていた。
虚の中、広い空間に溜め込まれた彼らの食糧がある。何匹かのチーグルは見張りだろうか。そしてその最奥、両脇を支えられながら、かつて言葉を交わしたチーグルの長が、私たちを認識したのかゆっくりと立ち上がった。小さな体をソーサラーリングに通し、両脇のチーグルがそれを支えて三匹で私たちを出迎える。
「久方ぶりだな。かつての友人達よ。此度は如何なる理由で訪れたのだ」
四年前、ミュウがチーグルの森に改めて受け入れられた際には、自らの力で杖のようにソーサラーリングを持ち上げていたはずだ。ここにも時の流れが訪れている。私は片膝をつき、礼を持って長へと話しかける。
「お久しぶりです。四年前はこの森へミュウを受け入れて頂き、その節はありがとうございました。その彼ですが、今はどこにいらっしゃいますか」
「ミュウならば、今は食糧の調達に出ている。戻るよう呼びかけるか」
「もしよければ」
「構わん。……みゅ、みゅみゅ」
長老が近くにいた橙色の個体に声をかける。チーグルが出ていき、「少し待つがいい」と長老が述べ、私たちはチーグルの棲家の端へと移動した。ルークが落ち着かなさそうに入り口を見ている。
それほど長い時間ではなかった。少しの後、橙色の個体と、その後ろに続いて見慣れた毛模様の個体が現れる。その大きな両目がこちらを見るや、ハッとした様子で、必死の速度で走り寄ってきた。
「みゅ、みゅみゅみゅみゅ〜!」
大きな鳴き声と共に跳び上がり、青いチーグルは、ミュウは、一直線にルークへと飛びついた。それをルークが受け止める。重さなどあってないような種族だ。丸い頭をルークの胸に押し付けながら、何かチーグルの言葉で必死に話している。生憎私たちには理解できない。見ればミュウは泣いているようだった。
「ミュウ」
その様子を見ながら呼んだのは長老で、ソーサラーリングを支える二匹に首肯し、ゆっくりとその輪から体を抜く。リングは静かに地面へと置かれた。ミュウが振り返り、すぐにその輪の中へと飛び込んでいく。体を通し、リングに譜術が発動するのを眺めていると、くるりとルークに向き直り再びその胸へと飛び込んだ。
「ご主人様! ご主人様ですの! ボク、ボク、会いたかったですの! 戻ってきてくれて嬉しいですの! とってもとっても寂しかったですの!」
ぐりぐりと泣きつくチーグルの姿に、かつてなら少々の悪態もついただろうルークも思わず無言で頭を撫でてやる。ガイがその肩に手を置いていた。ルークは私を見て、戸惑ったようにミュウの体を自分の目線の高さまで持ち上げる。
「悪かったな。すぐ戻ってきてやれなくて」
「本当ですの! 皆さんご主人様がいなくて泣いてたですの! でもでも、また会えて嬉しいですの!」
ルークが再び私を見る。チーグルは純粋に要らぬことを口にしていく。
「みんな泣いてたって、ジェイドもか?」
「ジェイドさんは泣いてなかったですの。でも、ミュウも泣かなかったですの。だって、……あの時帰ってきたのはご主人様じゃなかったですの」
ミュウが俯く。
あの夜。第三のルークが帰ってきた時、ミュウは決して彼に近づかなかった。私の腕の中で、ただ静かに皆と彼の邂逅を眺めていた。
「だけど、ご主人様はご主人様ですの! ボク、嬉しくって泣いちゃうですの」
笑いながら、喜びながらぽろぽろとチーグルの目から涙がこぼれていく。ルーク・レプリカが帰還しなかった折は泣かなかったチーグルが、彼の帰還でその目を潤ませる。不思議なものだと思う。必ずしも悲しいから泣くわけではないのか。
「ご主人様、どうやって帰ってきたんですの? 僕のこと迎えにきてくれたんですの?」
ミュウが小首を傾げる。それを見て、はっとしたようにルークが私に視線を移した。
どちらを選ぶかは彼に委ねられている。恐らく、ミュウを連れて出ても問題はないだろう。そして、彼を彼の仲間達と住まわせるのも間違った選択ではない。ここでも取捨選択を迫られる。ルークはミュウをその場に下ろした。
「……お前はどうしたいんだ」
「ボク、ボクは……ご主人様と一緒がいいですの。でも、きっと、前みたいなお役には立てないですの」
「役に立てない?」
ルークが訊ねる。私は眼鏡を押し上げながら彼らを見る。
「ソーサラーリングはチーグル族の宝物ですの。旅の時には貸してくれてたんですの。これが無いと僕、火もちょっとだけしか吹けないし、飛べないし、お話しもできないですの」
これは予見していたことだった。いまや国境を自由に行き来できないのと同じように、緊急事態であった旅の時分とは状況が異なっている。ルークの日記から、ミュウは文字が書けると知っているが、きっと筆談を滑らかに行うレベルではないだろう。ミュウが落ち込んだように頭を下げる。ルークが長老へと向き直った。
「ソーサラーリングをまた借りるのは難しいのか」
ミュウが素早く顔を上げた。そして横のチーグルに促され、再び長老がソーサラーリングを行使する。
「これはユリアとの契約の証。そう安易にはお渡しできん」
「……そっか」
ルークが屈み、ミュウの頭を少し乱暴に撫でた。どうするつもりだろうか。ガイが私を見ている。その視線はどこか責めるような色をしていて、何か助力できないのかと問うているようにも見えた。私は眼鏡を押し上げながら長を見る。
「三年前には一時的にお借りできたのですがね。それはあの晩だけのお約束でしたから」
「……ああ、あの晩か。月が満ちた良い夜だった。ミュウは項垂れて帰ってきた。それこそライガの森を焼いたあの日のように。四年前と同じだと思った。ミュウは、己の主人は帰ってこなかったのだと言った。……しかし見たところそなたはあの時ミュウを救った青年のようだ。違うかね」
突然問われてルークが瞬きをする。膝をつき、長に向かって静かに頷く。
「ああ。そうだ」
「やはりそうだったか。ふむ。……ミュウから経緯は聞き及んでいる。そなたたちがこの星を救ったのもまた事実。かつてユリアが護ったこの星を。ならば、そなたたちにであればリングを渡すこともやぶさかではない」
ルークが思わずというように体を前のめりにする。ミュウが横で飛び上がり、ガイも驚いたように居住まいを正した。
「本当か?」
「このリングは何代にもわたり我らが一族に受け継がれてきたもの。差し上げる事はならないが、ミュウがそなたらと共にある間お貸しすることはできる」
「旅の時と同じですね。ただ、今回に限っては期限を設けるのが難しいかと存じますが」
「契約の証であるのは変わらぬが、私の代になってから力を行使したのはそなたらが訪れるときくらいのものだ」
「聖獣をペットとして飼うなんて、普通なら恐れ多くて思い浮かばないもんな」
ガイがそう言うとルークが口を尖らせて振り返る。
「別にペットが欲しくて連れてたんじゃねぇ」
「分かってるよ」
「我々以外の人間とのやり取りはどうするのです」
二人のやりとりを流して長に問う。
「それは、そなた達に一任させていただく」
「なるほど。では、貴方がたと人語を介したコンタクトを取りたい場合は我々に依頼するようしたためた書簡をお渡ししましょう。いかがですか」
「それが良かろう。われらはをそれを人間に見せればよい。言葉が通じず困るのはそなたら人間のみなのだから」
懐から無地の書簡を取り出すと、ルークが「そんなもん持ち歩いてるのか」と訝し気な目で私を見た。私は無視し、ソーサラーリングを借り受ける旨と、必要となった場合の連絡先として私の名前を記しておいた。封蝋は流石に持ち歩いていない。封筒の蓋にかかる位置でサインを施す。
「こちらを。もしよければ定期的に訪問させて頂いてもよろしいでしょうか」
「頻繁でなければ構わぬ」
「では次は季節が二つ過ぎる頃に」
「いいだろう」
長が再びソーサラーリングから身を離す。ミュウがそれを受け取り、浮き輪のように体を通して両手で抱えた。
「みゅみゅみゅ、みゅ、みゅみゅ」
「みゅみゅ! みゅみゅみゅみゅ」
「何言ってるかさっぱりわっかんねーや……」
挨拶をしているらしい二匹を見下ろしてルークが呟く。ガイが困ったように笑い、私はそれを少し離れて眺めていた。

エンゲーブへの帰り道、前を歩くルークとミュウは早速何か小言めいた言い合いを始めている。質問攻めにしてくるチーグルにルークが疲弊しているともいえる。
「まさか、ソーサラーリングまで借りちまうなんてな」
「想定外のことも起こるものです」
「旦那に想定外のことなんてあるのか?」
「ありますよ。こんな身ですが、万能ではありませんから」
よく言うぜ。言って、ガイがルークとミュウを宥めに少し小走りで近寄っていく。連れて帰るのは想定内だった。ソーサラーリングまでついてくるとは流石に確証がなかった。子供は常に私の想定を超えていく。それとも、年嵩のものに好かれるという効果が対チーグルとしても発揮されたとでもいうのだろうか。
到着すれば、ちょうど依頼していた馬車の用意が整ったところで、慌ただしくもローズと駐屯軍の再確認を行いエンゲーブを出る。揺れる馬車の中、行きとはまた異なり騒々しい道中になるかと思えば、しばらく経てばルークとミュウは揃って寝入ってしまっていた。
「戦闘になるかもしれないって気ぃ張ってたからな」
隣に座るルークを見ながらガイが言う。
「変に力が入っているように見えたのはそれですか」
「片目が見えなくなってから、打ち合いじゃないモンスターとの戦いになるかもしれなかったんだ。気疲れもするだろうさ」
ルークの膝の上、だらしない恰好で眠るミュウの体が呼吸に合わせて上下している。その温かさも相まって眠気に誘われたのだろう。車酔いにならないのならばそれで構わなかった。
「旦那は貴重な休日をこの二日にあてたんだって?」
「貴方のところでもその話ですか。まったく、他に話題はないんですかね」
「働きづめで常に仕事をしている上官が休みをとるとなったら下士官は興味も湧くだろ」
暫く沈黙が下り、馬車が静かに進む。しかしやがてガイが声をかけてくる。
「あの時、三年前、やっぱり旦那はルークが戻ってこないって分かってたんだな」
ミュウが言った私が泣いていなかった件についてだろう。果たしてルークの帰還に私も涙するとガイは思っていたのだろうか。
「私の立てた理論ですから」
「旦那は確証がないことは口にしてくれない。ってことは、あの晩のあの時まで確証は無かったってことなのか?」
彼の質問にゆっくりと瞬きをする。思い浮かぶのは否定だった。
確証がなかったわけではない。忌々しい事だが、私と鼻たれは同じ結論に行き着いていた。記憶しか残らない。それをどうもってして帰還する者をルーク・レプリカだなどと表せられるのか。
定めたくなかった。自らはじき出した結論を口にしたくなかった。それをしたところで結果は変わらず、あの夜、ルークは三人目となって現れたのだが。
「神などいないと知っていた筈なのですがね」
馬車が進んでいく。グランコクマに着くころには夜になるだろう。ルークをおかしな時間に寝かせてしまったと思うが、赤子でもないのだからと起こさずそのままにしておくことにする。やがてガイも微睡みを見せたから、適当に眠るように言い、私は、残りの道中窓の外を見ながら過ごした。