BD910

世界に生まれる

15

翌朝。早くにキムラスカのノヴァ保護施設から医師が訪れ、ルークの診察を行った。それが想定外に複数人で訪れたものだから、私の目が据わったのを子供は感じ取っていたし、無論医師たちにも確実に伝わるよう配慮した。既にマルクトでの結果が出ている診察への重複対応としては些か不遜ではないだろうか。ルーク・フォン・ファブレという人間の立場を考えれば、相手がこうも強硬に出てくることは想像に難くない訳ではあるのだが。
結果は退屈なほどに見覚えのあるものでしかない。ルーク伯爵とのレプリカ情報の照合、非常に安定した状態の第七音素のみで作られた体。
だからどうした、と言いたくなるような内容だったが、それで納得が与えられるならば仕方がない。
自らが立てた理論を何度目とも分からず推考する。同じものを作り出すはずだった技術は、最終的に元のオリジナルさえ変えてしまうというのだろうか。それとも、あの実験体のチーグルのように、死という外的要因がなければルークも一人として「元に戻れた」だろうか。だがもしそうであるならば、死を迎えた人間のレプリカにいずれ訪れる大爆発とは。
「ジェイド?」
いつも通り不毛な結論に至る私の思考回路にルークが割り込んでくる。ホテルの部屋。ルークが選んだ彼のベッドルーム。傍に控えていた私に振り返る子供は、目が合うと、終わったぜ、と特に何も変わらない様子でシャツのボタンを留めていた。彼の目の前には医師の座った椅子と、その周りを囲う「助手たち」がまばらに並んでいる。
「丁寧な検査を行っていただき私も安心いたしました。他で何か私達がお手伝いできることはありますか?」
ルークにはなるべく淡々とした反応を心がけるよう伝えていた。お陰で通常のノヴァと比べても遜色なく、被験者がルーク伯爵であること以外の特別性は見出されていないようだった。
私の質問に、ルークをメインで診ていた医師が首を振る。
「ノヴァ研究の進んだマルクトと同様の結果を出せたことで、僭越ながら我らがキムラスカ王国の技術力も改める事が出来、大変貴重なお時間をいただきました。リュカ様にはご負担をおかけしてしまい申し訳ない。どうか、このあとはゆっくり体を休めてください」
流石にこの医師は食わせ者らしい。初老に差し掛かった彼は他の医師たちと比べてもまだまともに見えた。医師の中にはノヴァを蔑視している感情が透けて見える者もいて、それはどこの国のどの職の人間でも変わらないのだと無駄な確信を与えてくれる。
医師たちは去り、代わってセシル中将が現れる。結果に問題が無かったため、昨日キムラスカ預かりとなった書類がこちらに届けられるという。私は時計を見た。もうすぐで昼になる。
「書類の届け人はいつ頃いらっしゃるでしょうか」
「間もなくです」
よどみなく答えられる。私は薄く笑い、セシル中将は変わらず無表情だった。

届け人として現れたのは上級将校などというケチくさい肩書の人間ではなく、誰あろうナタリア王女と未来の伴侶だった。
こちらは誰が来るか等聞いていなかったので正装ではない。私はマルクトの軍服であるが、ルークは診察後の普段着だ。だがホテルの中では誰も気にしない。セシル中将が出て行きドアが閉まれば、中に残るのはたった四人だ。
伯爵が持ち込んだ書類を王女手ずから渡される。恭しく受け取り、次いで、小ぶりのバスケットが差し出された。
「なんだこれ?」
「丁度お昼時になるかと思いまして、軽食をご用意させていただきましたの。貴方がたのことですから、書類を受け取ればすぐにでも出航なさるのでしょう? どうぞ艦内でお食べになって」
「読まれてますよ、ルーク」
「俺だけじゃなくてお前もだろ。いや、つーかその、ああー、……この軽食って誰が作ったんだ?」
どんどん自ら死地へと向かって行く。こういった様は嫌いではなかった。
だが無事地雷を踏んだらしい。ナタリアの両手が呆れを伴い腰に当てられる。
「あら失礼ですこと。王城の料理長直々のサンドイッチでしてよ。ご安心なさいな。私が作ったものではありませんから」
私が医師たちに向けていたよりも多く鋭い棘が言葉から突き出している。ナタリアの後ろからこちらを伺う伯爵の様子を見るに、乱された機嫌を直すには相当時間がかかりそうである。
「なんだ。そっか。でもナタリアも旅の間でちょっとは上手くなってたもんな。続けたらもっと変わるかも知れないぜ」
バスケットに掛けられた布巾を捲り、中を眺めながら子供が言う。じわり、とナタリアの頬が染まったようだった。余計な一言があった気もするが、存外この子供はこういうところがあるのだと忘れていた。
だが、これから上達するまでの間、彼女が作ったものを食べるのは誰の役割になるだろうか。私は伯爵を見たが、伯爵は子供を睨むのに忙しく私と目を合わせてはくれなかった。

バチカルの港に停泊していた輸送船に乗り込む。ナタリアと伯爵の二人とはホテルで別れの言葉を交わしていた。バチカルにいてはあの二人と共にあればいくらでも目立ってしまう。私とルークの二人だけでその役割は十分だった。別れ際、うっすらと、ナタリアの目が再び潤んでいたのは見なかったことにした。
艦が港を離れる。窓を覗けば、見物人たちが様々な感情を浮かべた目で私達を見ているのが確認できた。興味、困惑、疑心。私はルークを艦内の部屋に残し、操舵室へと向かう。
このタイプの艦はタルタロスと同じように複数の人間で操舵している。中央に立つ今回の移送作戦指揮官である少佐が、私の入室に合わせ振り返り、敬礼をした。それに手をあげ解くよう促す。
「状況報告を」
「はい。艦外、艦内、天候、全て異常ありません。出発が想定よりも遅れましたが、季節風の影響で予定通りの時刻にはダアトに到着できるかと」
「助かります。やはり夜になりそうですか」
「そうですね。ダアトの港は夜間着では少々手続きが異なります。暫し艦内でお待ちいただく事になってしまうかもしれません」
「構いませんよ。隠密作戦の待機に比べればいくらも耐えられます」
「ふふ、仰る通りです」
私と年代の近いこの女性少佐はいくつかの作戦を経験している。彼女は小さな揶揄いをいなしながら操舵の業務へと戻っていく。

居室区画の部屋に戻ると、ルークがバスケットの布巾を取ったところだった。
「おや、抜け駆けとは感心しませんね」
「今足音がしたんだよ。こういう船ってやっぱ音響くよな」
子供は不服そうに口を尖らせながら、綺麗に切り揃えられたサンドイッチを一切れ取る。めくられた布巾はさりげなくキムラスカの伝統的な図柄が刺し込まれており、しかし恐らく見慣れているのだろう、彼は気づいていないようだった。
私は、彼のこういった自然な仕種に見覚えを感じる度、何度でも安堵する。何度でも彼が不意に消えることを想像してしまう。私の知らない一面を見せて期待を裏切る気配を探る。私は卑怯だ。彼が、ルークが、再構築を経て一番に向かう先が私であったことに喜びを感じた。何かを決断する折、怯えを潜めた目で私を見るのが心地好かった。あの日、ヴァン・グランツ謡将との戦いに赴く勇ましさが憎たらしかった。旅の仲間の内、誰でもない、私との同室の際に、弱音を吐き出す彼を愛してしまった。
愛とは。最も自分から掛け離れた言葉だ。それは今でも同じ気持ちでしかない。それでも、掛け離れたその先に立つ誰かがこの子供であればいいと思う。この感情に於いては、いつかの昔に、この子供が世界に生まれるきっかけとなったあの人との間に得ていたものが最も近かった筈だ。だが今は違うものだとはっきり分かる。自分が若すぎたのだろうか。私が歳を取ったのだろうか。愛する人の死で愛というものを二度知ることになった。もう懲りごりだと思っている。このあたりが潮時なのだから、私の全ての理論を覆してきた彼なのだから、どうかこのまま、何も変わらずにただ生きていてほしいと思ってしまう。

相変わらずルークは暇を持て余し、仲良くなったのだという兵士にちょっかいを出しに部屋を出て行った。
私はバチカル港でマルクトの連絡船からもたらされた新たな仕事書類を捌きにかかる。旅の間もこうして書類仕事をこなしていたのを思い出す。艦内はそれほど揺れず筆記するのにも苦は無い。
しばらくするとドアがノックされた。応えれば、そこにはルークと、部隊の一人であろう兵士が恐縮を体言しながら立っていた。訊けば、ルークが甲板で体を動かしたいと言い出したのだが、なにせ相手は帝国軍中将が連れ回し、つい先ほどキムラスカ王国次代の女王の伴侶、そのノヴァとして認められた人物である。私に許可を取り付けに来たのだという。すっかり保護者が板に付いたと思えばいいのだろうか。
「貴方にも作業があるのでは」
「はい、いいえ! 私は休憩をいただいていますので作業に支障はありません」
「なんだ、休憩中だったのか。じゃあ休んだ方がいいんじゃねぇの」
「おおかた貴方が誘ったのでしょう。まったく、……それなら、これから一時間ほど、彼の稽古の相手をしてください。特別任務としますので、稽古の前に直属の隊長にこの書き付けを渡しなさい。また、休憩は別途とるように」
「は、はい! 承知しました」
近くに置いていた白紙にペンを走らせて、彼に伝えた旨の命令文を作成する。受けとった兵士は動悸が聞こえそうなほど緊張し続けており、最敬礼とルークの「じゃあ行こうぜ」という呑気な掛け声と共にドアは閉まった。額に指先を当てる。彼には少々こういったところがある。

書類の整理と航路の様子を伺いながら明るいうちを過ごした。ルークは戻って来なかったが、稽古の後も艦内をふらついているのだろう。
想定通りに艦は進み、夜となった海を渡り、ようやく港に着く頃には随分と遅い時間になっていた。
「ここではすぐ下りれないのか?」
今日ここまでの分の日記をまとめて書きながらルークが訊ねる。私は読み終えた報告書を束ねながら彼を見る。
「ローレライ教団は、四年前のあの日以降、徐々に新しい教義へと変わっていきました。無闇に預言を信じる派閥は衰退し、生活の中に取り入れて心の安寧を図るような派閥が多く広まりました。その功績にはフローリアンも関係していますよ」
「フローリアンか。懐かしいな」
「トリトハイム副司祭が彼を支持したためです。それによりノヴァへの保護や、他国との関係性、中立性がより強まるようになりました。まあ、そのために我々はいま足止めされているわけですが」
「は? なんで関係あるんだ」
「中立性とは『どちらにも傾倒しないこと』を指します。この港は誰にでも開かれていますが、誰にでも等しく検問が敷かれるのですよ。夜の着港は昼に比べると手順の複雑さが上がります。ただ、時間はかかるでしょうが問題なく通過できるでしょう」
許可が下りても朝の通過となるかもしれない。艦で寝るのは然程構わないが、行程に遅延が発生すれば最後の目的地にその旨の連絡は必要になるだろう。眼鏡を押し上げる。また結果の変わらない逡巡が浮かんでしまう。
「何考えてるんだ?」
子供にまで訊かれる始末ではどうしようもないだろう。私は薄く笑ってそれを流した。

伝達管から連絡が入る。やはり艦を下りるのは明日の朝になるという。また、私一人が操舵室へと呼び出される。ルークはつまらなさそうに簡易ベッドへと横になった。
昼も通った艦内を歩き、操舵室に入ると、そこには無骨な艦内の似合わない一人の少女がいた。
「お久しぶりですぅ。カーティス中将」
少し間延びした語尾は相変わらずだが、腰まで伸びた黒髪に色の強い肌。美少女、と己を称していた頃もあったが、その言葉に反さない美しさがそこにはある。
しかしその性根を知っている身としては、久しぶりに会えたという感慨以外は然程気持ちは沸かなかった。
「お久しぶりです、アニス」
「中将。アニス・タトリン護衛長殿より談話の申し出をいただきました。如何なさいますか」
アニスを見れば、教団服の裾を軽く払い式辞に則った礼をしてくる。
「この度はダアトの教団本部より使者として参りました。内密かつ早急にお伝えしたいことがございます。どうかご承諾を」
「ええ。慎んでお請け致します。私達の部屋にお連れしても?」
「光栄です」
にっこりと。この子供は相変わらず世渡りが上手いのだ。私も同じような笑顔を浮かべてやり、少佐を指揮の任務に戻し、アニスを連れて操舵室を出る。途端に彼女は両手を持ち上げ猫のように体を伸ばした。
「あーあ、体面ってやつは保つのも大変ですねぇ」
「おやおや、お淑やかな女性はどこかへ行ってしまいましたね」
「ひっどーい。こんなに美人になったアニスちゃんにそれ以上を求めるなんて罪ですよぉ大佐♡」
揶揄い合いながら艦内を渡る。あの日のルークと同じ年齢になった彼女は、身長も伸び、体格も小柄な女性のそれになっている。子供の成長とは恐ろしいものだが、最たる例が彼女だろう。当時から大人びていた節はあったが、今はフローリアンを長とする派閥の護衛長を担っており、この年齢で副司祭であるトリトハイムの補佐も勤めている。
「それにしても大佐ってば、私のこと手足として使い過ぎじゃないですかぁ? 一応私も忙しい身になっちゃったんですけど」
「いいじゃありませんか。貴女のフットワークの軽さと口の堅さを買っているのですよ」
「そう言われちゃうと悪い気しないんですけどぉ」
そう笑う仕草はどこか記憶にある通りであって、いつの間にか覚えのない大人の女性が垣間見えている。かつて高い位置に二つで結わえていた髪も、今は一つのハーフアップで顔周りだけをすっきりさせており、肩から前へ緩やかに巻かれた毛先は彼女が常に身だしなみを意識しているのを表している。いつだったか、爪の色をティアが指摘していただろうか。全て自らで施しているというのだから器用なものだと感心してしまう。
「それより大佐。ユリアシティが最後の目的地って本当ですか?」
「ええ。そのつもりです」
「うーん、きっと大佐だし、ルークにティアのこと絶対話してないですよね。はうー、最後にするのが正しいのか、早く済ませたほうが良かったか……今だともう選んだ後ですし、考えても仕方がないんですけどね」
彼女もナタリアと同じ憂慮を見せてくる。女性陣は女性陣なりに強固な絆があるのだろう。また、共感し得る複雑な感情も。私は私が正しいと判断した通りに航路順を取り決めていた。これがどういった結果になるかの責は全て私が負うのだ。

部屋のドアをノックする。奥から声がすると、ややあって不思議そうにルークがドアを開けた。
「なんだよジェイド、自分で開け――……っ!」
「ルーク!」
ナタリアとは違い、アニスは勢いのままにルークへと抱き着いた。流石に伸びた身長も体躯も、ルークと比べれば全く小さかった。危なげなくそれを受け止めたルークは、見えている片目ですら分かるほどにひどく驚いた表情で固まっている。
「なっ、な、アニスか⁉」
「えへっ、そうだよー。こんなに美人になっちゃって驚いちゃったでしょ?」
体を離し、くるりと新しい教団服の裾を摘まみながら回って見せたアニスは、四年前の姿のままであるルークの腕を取り、軽く組んで笑みを深くする。
「えーっと、お前、旅の時いくつだっけ」
「十三だよ。エルドラントの時は十五になってたから、アニスちゃん、ルークの年齢追い抜いちゃった。えへへっ、なんか変な感じぃ」
取った腕を揺らしながらアニスがルークのベッドに腰掛ける。引きずられるようにルークも隣に腰を下ろし、私は二人と向き合う形で椅子に座った。
「そっか。……ははっ、確かになんか、変な感じだな。……そうだ、アニスは今何やってるんだ?」
「今は教団の立て直しが主かなぁ。新生ローレライ教団はね、フローリアンが導師様なんだけど、あのぽやぽやは健在だからね。トリトハイム様と諸々頑張ってるんだ」
年齢の近くなったアニスにルークが緊張しているのが見て取れる。だがこれは異性としての意識に近いにしろ、純粋な驚きの方が強いのだろう。
「明日は午前お休み貰ったんだ! だからダアトでお茶でもしようよ。四年の間にいろいろ……ほんっとうにいろいろあったんだから!」
「あ、ああ……それは別にいいけど」
「アーニス。今のルークはキムラスカの後ろ盾が無い、しがないリュカという一人のノヴァですよ」
「やだなぁ、大佐がいるじゃないですかぁ♡」
旅の頃にもあった茶化し合いだった。彼女は暗い雰囲気を望まず場を明るくするよう努めようとする。それが功を奏する時もあるし、稀に痛々しさを感じさせることもあるが、今回に於いてはルークが明るさにあてられて笑うことが多く前者に落ち着いたと分かった。
そこから少しの間だけ、主にアニスが溜まった何かを吐き出すように延々としゃべり続け、やがて時間を思い出すや素早く会話を打ち切った。
彼女の身に着けた体裁は徹底しており、私とルーク以外がいる場所では決して昔の呼び名で呼ぶことは無かった。降船のためのブリッジに出る。振り返り、再度アニスは正式な礼を流れるような仕草でこなしてみせる。
「それでは、明日の朝馬車で迎えに参りますね。カーティス中将、リュカ様もご機嫌よう」
にっこりと。笑って小さく手を振られる。彼女が乗った馬車が見えなくなるまで見送り、ルークはまだあてられた陽気に僅かに微笑んだまま、
「なんか、一番違う感じになってたな」
と感慨深げにつぶやいた。
「そうでしょうか」
「明日楽しみだ」
彼がそう言って笑うから、ならば良いかと両手をポケットへと入れる。空には見える限りに星がある。朝に子供が体調を崩していなければいいと思った。