BD910

世界に生まれる

13

馬子にも衣裳、という言葉をルークに向けたことがある。今回も正にそれだった。
用意させた正装姿はそれなりに見えた。以前のような体格ではないから、少し生地で盛っているところはあるが、それであって濃い紺色に赤毛はよく映え、カフスが留められなかったことと髪型を私に任せた以外は全て一人で着つけていた。
オールバックにはせず前髪をつくり、伸びていた分は少しだけ切って整えた。鏡を見た本人も、おお、と感嘆の声を上げる程度にはサイズも丁度合っている。
「すごいな、オービル」
「本人に直接言ってやりなさい」
少し髪がほつれ出た個所を耳にかけてやると、くすぐったそうに笑う。私が触れるのを警戒していないことに幾ばくかの優越感が芽生えた。
「行きますよ」
「おう」
前日と同じく、ドア外の兵士に声をかけてバチカル王城へ向かう。ホテル入口でセシル中将と合流する。実に重々しい警護だった。
しかし目立つのだ。当然ながら周囲の目は警護の中心である私とルークへと注がれる。身長がある為私は兵士の隙間からよく見えるようだった。バチカルの中央をマルクトの軍服が歩いている。これ以上目立つことは無い。私はルークを右側へと立たせ、眼帯で見えない範囲を敢えて広くさせた。
「転びそうになったら私につかまりなさい」
「……分かった」
私の意図するところを理解したのだろう、ルークは言われた通りにし、やがて王城が見えてくるまで静かな行軍となった。
入城する。
バチカルの城は、帝都と比べると調度品も荘厳で、より歴史を感じさせるもので飾り立てられている。旅の頃には何度か訪れていたのだが、相変わらず子供はどこか居心地悪そうな固い表情で私に続き歩いた。謁見の間の前でセシル中将に調印書を渡す。
「随分とひどい顔をしていますね」
「……なんだか、知らない場所みたいだ」
その言葉は悲哀を含める音をしていたから私は揶揄うのをやめた。
ややあって、両開きのドアが開く。上座までの道は仰々しくも両側を重鎮で固められた赤絨毯となって、その先、インゴベルト六世を中央に、その両側にナタリア王女と、ルーク・フォン・ファブレ伯爵が座している。私は目を細めてそれを見て、俯き気味に絨毯の上を歩き始めた。
子供が三人を見る気配を察し、「顔を下げなさい」と小声で伝えれば、慌てて同じく少し俯き歩く。
上座の前で止まり、両膝をついて礼をする。子供は私に倣ったようだった。インゴベルト六世の手が動いたのか、装飾品の軽やかな音が鳴る。
「顔を上げなさい。膝をつく必要もない。本日そなたらは使者として参ったのだから」
「畏れ多くも寛大なお言葉、痛み入ります」
子供に僅かに振り返り、共に立ち上がる。
「この度は謁見の機をいただきまして恐悦至極に存じます。こちらに居りますのが、先日ロニール雪山にて発見されました、ルーク・フォン・ファブレ伯爵様のノヴァでございます」
ルークが一歩前に出る。通常のノヴァに比べれば少々堂々とし過ぎているが、まあいいだろう。ナタリアが何かを堪えるような表情になるのを見た。そして、ルーク伯爵の眉間に微かな皺が入るのも。
「確かに、よく似ている」
「この度の謁見に際し、この者が確かに伯爵様のノヴァであることは、僭越ながら我が国の検査に基づいて判明しております。その証明書と、ノヴァの身分を示す調印書をお持ち致しましたので、お目通しいただきたく存じます」
「良かろう。持って参れ」
セシル中将が恭しく前に出て、上座の前に立つ宰相へと書類を渡す。宰相から書類が国王へと渡り、彼の人は昨日のファブレ公爵と同じく、厳しい顔でその書面を読み込んだ。
「なるほど」
一言それだけを零し、国王が手ずから伯爵へと書類を渡す。ルーク伯爵はそれを受け取り、眉間の皺もそのままに、丁寧に視線を動かしていった。
「拝読しました」
「異論はないか」
もう一度視線が紙面を眺める。その深い緑色の目が、僅かにこちらを見たのを感じた。
「ありません」
「そうか。……マルクトの使者よ。貴国からの提案、受けよう。我がキムラスカはその者をルーク・フォン・ファブレのノヴァとして正しく認める」
「有難きお言葉」
茶番だ。そうとしか言えない。この両側を挟む重鎮連中を黙らせるためだけの盛大な芝居だ。こんなことをしなくてもインゴベルト六世は事情を呑み込むだろうし、そも上座にある三人は既にこの子供が真のルーク・レプリカであることを知っている。
そして宰相が捧げる手持ちの調印台上でサインがなされるその瞬間だった。
「お待ちください。陛下」
ここで声が上がるのも想定済みだった。重鎮の一人だ。聞けば、マルクトでの調べが済んでいるのなら、こちらの国に則った調査も必要だという意見だった。それがどうしたというのか。本物であれ偽物であれ、調印書に記された内容は子供のノヴァとしての身分を改めるだけのことであり、この国への干渉については一切保証がないのだから、この国には然程の影響は与えない筈だ。しかしながら最も陳情しやすい嘆願でもある。
「うむ、良いだろう。だが余は既に宣言している。この言葉を覆すには相当なことがないと及ばないことを心得よ。……我が国のノヴァ保護施設より医師を遣わす。その者に診せることは構わないか、ルークのノヴァよ」
ここで私ではなく子供へと声をかけるあたり、やはりこの男は食えないのだと思う。ルークは片目だけで一度私を見て、
「どれだけ調べられても構いません」
そう答えた。
その言葉があまりにはっきりとしていたから、これも通常のノヴァの知性から逸脱していて、少々怪しまれるかと思ったが敢えて何も言わなかった。
「良い目だ。ならば、その検査が終わるまでは調印書は我が国で預かろう。いずれ明らかとなればそなた達に渡すものとする」
「畏まりました」
インゴベルト六世はサインを終えた。結果を待たずして、子供の身分を認めるとしたのだ。手間は増えたが一先ずその場が収まる。宰相の促しにより私と子供はその場を辞することになる。
多量な視線を浴びせられる赤絨毯を通り、ドアを潜って外に出て、警備の者が確かに締め切った途端、ルークは大きく肩で息をついた。
「はあ……なんかどっと疲れたな……」
「想定していたよりずっとスムーズに終わりましたがね」
「ジェイド、ああいう空気慣れてそうだもんな」
「お褒めに預かり光栄です」
セシル中将に控え室へと連れられる。椅子を勧められたが、これから起こることを考えればそのまま立して彼の人たちを待つ。少し経ち、やがて現れたのはインゴベルト六世、ナタリア、ルーク伯爵の三人で、ナタリアは思わずといったように子供へと駆け寄った。
「ああ、ルーク!」
将来の伴侶たる伯爵の前ではあったが、幼い記憶や旅の時分を考えれば、彼女が子供をルークと呼ぶのも致し方なかった。抱きしめこそしなかったこそ、危うくそうなりかける程には彼女の感情も高ぶっているようで、その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「ナタリア王女。今の彼はノヴァとしてリュカという名を与えられています。二人のルークがいては混乱しますから、よろしければそちらでお呼びいただければ幸いです」
「ルーク、……ええ、そうですわね。リュカ。貴方が戻られて、私本当に嬉しく思っています。手紙にあった通りですのね。まるであの日別れたそのままの姿ではありませんか」
「ナタリアは少し大人っぽくなったな。……やっぱ何も変わって見えないの、ジェイドだけじゃんか」
子供が私を拗ねたような目で見る。そんなに変わっていないだろうか。
「人間、どこかで老いが緩慢になるのですよ」
適当に返せば子供に呆れたような溜息をつかれた。そして彼はすぐに伯爵の方へと向き直る。子供は彼をアッシュだと思っている。そういえば、味方識別の話をしていなかったか。思いながら二人の動向を見守る。
「……お前、アッシュなのか?」
「……」
ルーク伯爵は言葉を切った。片目となった緑色と、同じだがより深い色をした双眸が視線を合わせる。
「俺は、アッシュ、……完全なルーク・オリジナルではない。お前と、被験者が合わさった者だ」
それははっきりとした言葉だった。この事は再三話したのだろう、インゴベルト六世もナタリアも、静謐な表情を浮かべたまま口を挟もうとはしなかった。訥々と話す声は低く、どこかいつかのアッシュを思い出させるのに、その音に刺を感じる事がないのだから不思議な心地がしている。
「あの時、被験者は確かに死んでいた。あれは音素乖離によるものではない死だった。しかし大爆発は起こり、お前との間でコンタミネーションが起こった。第七音素で体は再構築され、死して尚残る魂のかけらと、お前の記憶から被験者は死と共にお前と融合した。その時死によって欠けた分を補うため、お前から幾らか多く貰ったのだろう。だから、お前が完全には再構築されなかった」
子供が瞬きをする。片目だけの動きで。
「お前のその目はルーク・オリジナルの死に起因するものだ。あの時、被験者が大爆発を真に理解していれば、……できていれば、ほんの僅かでも生きていて、音素乖離による死を得ていれば、二人分の再構築は成ったかもしれない」
歯噛みするような、絞り出された声だった。ルーク・フォン・ファブレという人間がもつ根本の考え方なのだろう。微かに過度に、彼らは自らの行いに厳しくあたろうとする。王族に連なる血筋がそうさせるのか。それは時に自虐を帯びていて、聞いている者に息苦しさを与える。
「……それは憶測でしょう」
口を挟んだのは私だった。二人のルークがこちらを見つめる。この場ではどちらも前髪があるのだから、その顔が全く同じであることは容易に見て取れた。
「今は目の前にあることのみが事実です。仮定や憶測は慰めに過ぎません。理論としての大爆発を考えれば、伯爵のほとんどは魂は被験者の、肉体はレプリカの音素で構築されている筈です」
「……ああ、そうなるな」
「想定よりも早い死を補うために、ルーク・レプリカから僅かでも多くを得たとのことも間違いないでしょう。お二人の証言に齟齬はありません。ただ、それが必ずしも後発である彼の再構築に影響を及ぼしたとは限りません。世界的な第七音素の急激な減少と、観測がほとんどままならない程の消滅が最もな原因だと私は考えています。視力の喪失と魂の損失とでは直接的な関係を見出せません。身体を作り出すのに必要な音素が充足たりえなかった。ただそれだけかと」
「……」
二人が黙している。私以外の全員が何も話そうとしなかった。やがて、最初に口を開いたのはナタリアだった。
「意外なことをおっしゃるのね」
「……何のことでしょう」
「貴方、まるでルークを庇っているようですわ。彼が気に病まぬようにと」
余計なことを言われた。後ろ手に組んでいた手を解き、眼鏡を押し上げて肩を竦める。
「恐縮ながら、自らの理論を誤って理解されるのを嫌厭しただけですよ」
「それでも、……それでも、貴方のその言葉は、少なからず私の心を安んじてくださいましたわ。ルークから聞いていた話で、私は悔恨をいくらでも感じていました。あの時彼を……アッシュを、一人にするべきではなかったと。リュカ、貴方の目のことを手紙で知ってから、ルークも気に病んでいましたのよ」
「……ナタリア」
婚約者の突然の暴露に伯爵が幾らか鼻白む。その反応が記憶にあるアッシュに重なり胸が重くなるようだった。
「中将。貴方はあの旅で変わられたのですね。きっと貴方は否定なさるのでしょうけれど、私にはそう思えてなりませんわ」
「ご自由に捉えて頂いて結構ですよ」
私に言えたのはそれまでだった。
子供と伯爵はそれ以上言葉を紡げないようだった。インゴベルト六世もただ静かに見守るだけだ。そんな中、ナタリアが私を呼びつけ、無言しかない三人を置いて部屋の外に出る。警護で立つ兵士を少し遠くへ追いやると、ナタリアは限りなく小さな声で私を問い質した。
「この後、貴方がたは一体どうなさるの? ガイとはお会いになったのでしょう。アニスやティアは如何なさるの?」
「順を追って巡る予定です。まだ彼には話していませんが。距離を考えれば次はダアトでしょう」
「……貴方、ティアの事はお話ししたのですか?」
「……いいえ。それを私から話すことこそ無粋でしょう」
はあ、とナタリアが溜息をつく。彼女が懸念するのも仕方がないと思えた。第三のルークが還ってきて三年が経っているのだ。状況は様々に変わっている。
「ティアにも手紙はお送りになっているのでしょう」
「さあ? それはどうでしょう」
「貴方の事です。そういった手回しはしている筈ですわ。それにしても……」
二度目の溜息。彼女の憂いは私には払しょくできそうにない。
「そろそろ戻りましょう。きっと全員が居心地の悪いことになっています」
「……ええ、そうですわね」
戻れば予想通り、重い沈黙がそこには降りていた。ドアを開けば全員の目がこちらへと向いた。何を話していたのかは幸いにも訊ねられなかった。
「リュカ。これ以上お三方のお時間を頂戴するのも失礼になるでしょう。畏れながら、私たちはもうホテルへ戻ります。ナタリア王女。キムラスカの施設から医師が派遣されるにはどれ程かかるかご存じですか」
「なるべく早急に手配するよう命じました。ですが一日はかかるでしょう。この度の滞在費などは我が国が負いますわ。どうかその間はゆっくりなさっていって」
ナタリアが子供へと言葉を向ける。彼は少しだけ笑んで見せ、ありがとう、とかつての幼馴染に言葉を返した。

セシル中将の警護の元、滞在先のホテルへと戻る。引き続き兵士がドア前で待機はしているのだが、ルークはようやく解放されたとでもいうように、正装から普段の服へとすぐに着替えて、疲労を訴え昼寝に入った。私は進捗に関する報告書を簡易にまとめ、警護の兵士にマルクト宛で届けるよう依頼する。きっと検閲が入るだろう。そうであっても問題のないことしか書いていないのだから構わなかった。
紅茶を淹れてようやく一息つく。叶う事ならルーク伯爵の状態を私自身の手で検査したいところではあったが、そんな権限はこの国において私には無い。あの夜施しておけば良かったと、何度目かの逡巡を終えて、立ち上がり、ルークの部屋へと向かった。
子供は施錠もせず暢気にベッドで眠っている。式服はきちんとハンガーへと掛け直されていた。額に触れるが熱は感じられず、段々と体調が良くなってきているのを文字通り肌で感じていた。
ここから先もまだ長い旅になる。体調が戻ることは単純に良い事だった。そして、彼がこの旅の最後に会わなければならない人を、思い浮かべてゆっくりと瞬きする。世界はどこまでこの子供を苦しめるつもりなのだろうか。