世界に生まれる
11
軍港。手配していた軍の輸送艦が停泊している。戦艦ではない印である艦旗を風になびかせ、作戦中を知らせるライトが最高階の正面に光っている。
オービルと荷物を載せた馬車が私達の馬車よりも早く到着しており、荷物を艦へと運び終えた執事はルークへ上着と、私に一つの箱を手渡した。それは贈るには質素だが、簡易に包装された手に収まる程度のもの。
「ご用意が間に合いました」
「ありがとうございます。礼金は弾んでおいてください」
汽笛が鳴る。上着を着終えたルークが不思議そうにこちらを見ていたが、うっすらと笑ってやりながら、中へ行きましょう、と促せばそれに従った。今回はオービルも同行しない。真実私と子供の二人だけだ。
「オービル来ないのか」
「前回がイレギュラーだったのですよ。今回はノヴァに関わるマルクトの代表としてキムラスカへ渡ります。自分の支度の為だけに秘書を兼ねるであれ使用人を連れるような身分ではありませんから」
艦の中では誰にあっても敬礼をされる。それを手だけで制するのを、ルークが何度もフードを下ろしてやり過ごしていた。何故まだ怯えているのか。狭い階段で一度躓きかけたが、特に問題はなく宿泊室のエリアにたどり着く。かつて、ルークら一行をエンゲーブから輸送した時の艦とは型が違うが、自然その時のことを思い出したらしい、ぽつぽつと昔話を交わしているこの状況がいくらでも不思議に思えている。
「あの時からだと五年になるのか?」
「そのくらいは経つでしょう。ほぼ一年がかりの大仕事でしたから」
「アンチフォンスロットでさ、ジェイドの力が封印された時どうなるかと思った。敵だったけどお前めちゃくちゃ強かったからさ」
「お褒めに預かり光栄です」
「そういう嫌味なとこはそのままなんだもんな……」
以前のケテルブルクからの移動と同じく宿泊室の最上階へと向かう。ドアを開くと、ルークは、この船の方が広いと言った。それはそうだろう。輸送船へ乗り合わせた前回と違い、今回においてはこの子供と私が移送されることが最大目的なのだから。
乗り物酔いの薬は既に飲ませてある。小さなテーブルの椅子に座るルークの向かいへ私も座り、先ほどオービルが渡してきた紙製の箱を取り出し、それをルークの目の前に置く。緑の目がそれをじっと見た。きょろ、と動きはするのに、視力を奪われた片方だけの視界に、深い緑色の箱が据えられている。
「なんだこれ?」
「貴方のものですよ」
「お前が受け取ってたじゃんか」
「私が依頼したものでしたので」
ルークが箱を持ち上げる。振ってみるが、緩衝材もしっかりとしているのだろう、特に何かが動く音はしなかった。じ、と私を一瞥してから、慎重な手つきで箱が開かれていく。私はその様子を眺めている。
出てきたものを、ルークは一瞬何であるか理解できていないようだった。あまり見ない装具品だからだろう。だが白い革で出来たそれを広げてみて、あ、と小さく息だけを漏らす。
「これ、……眼帯か」
「貴方は傍目には両目とも見えているように伺えます。それをつけておけば周囲の人間に貴方の状況も伝わりやすいでしょう」
箱を開けたことで、新しく質の良い革の香りが広がった。着色ではない白い獣の柔らかななめし革で出来たその眼帯を、ルークはしげしげと眺め、改めて畳み、おずおずと私を見る。
「……これどうやってつけるんだ」
確かに旅をしていた時分は眼帯をしている人間を見る事はあれ、まじまじと見つめることはなかっただろう。ましてや第七音素で出来ている以外は健康体であった筈である。こういった装具とは縁遠かったのかもしれない。
「貸してください」
受け取り、座るルークの後ろに立つ。赤毛の襟足が跳ねているのを見る。眼帯を広げ、ルークが見えていない方の右目を覆うよう装着してやると、紐の長さを固定する折にくすぐったいらしいルークの手が伸びてきて、私の手袋越しに指が掠めていった。その程度ではどうということもない。ただ、剣でできたたこは再構築時にもつくられたのかと思う。こんなものを再現するくらいなら視力を奪わなくても良かったのではないのかなどと。
「緩くありませんか」
「ちょっと」
「少し締めます。……ルーク、ここを触って下さい。この部分をスライドさせて緩め、締めます。今後装着は自分でするように」
「分かった」
終えて向かいの椅子へと戻る。眼帯をつけた子供を改めて見た。照れくさそうにしているその様を見て、痛々しいと思うのは私のエゴなのか。
「着け心地はいかがですか」
「すげー柔らかい。これいつサイズ測ったんだ? まさか寝てる間とかか?」
「オービルですよ」
ルークが箱を畳むのを見ている。アクセサリーのように装飾用ではなく、寝るとき以外はほぼ着けるようなアイテムなのだから、保管用の箱などは依頼に含めていなかった。きっとこの子供は寝る前にサイドボードに置くくらいが関の山だろう。もしかするとそのまま眠ることもあるかも知れないと、念のために一番柔らかな素材で作らせたのだが、果たして。
「彼はもともとオーダーメイドの被服の店で働いていたので、目が良く、相手のサイズを目測でとることが可能なんです。貴方、ケテルブルクや私の邸で服を用意してもらっていたでしょう」
「あれ測ってたのか」
「ケテルブルクでは近いサイズの服しかありませんでしたがね」
伝達管を通してポットに白湯とカップだけをもらい、流石に紅茶を淹れる事は出来ず、好きに飲むようルークに伝える。私が書類を開くと、さっそく暇になったのだと子供も悟ったようだった。
「なあ、船の中見てきてもいいか?」
「……足元に気を付ける事と、立ち入り禁止エリアもあるので、艦内の者の指示には従うように」
「分かった」
眼帯を着けずとも、今回移送に関わる者にはルークの右目の視力が無い事を既に伝えてあった。それでも、本人が忘れていたり、周囲も必ず面倒が見れるような状況ではないのだから、注意を促しておくに越したことは無い。先日キムラスカへ送った書簡にも、公的には音素暴走を止めるための措置による副作用として右目の失視力をしたためてある。彼の母親は無事だろうか。もしかするとベッドに横になったままの謁見と相成るかもしれない。
目を通しておくべき書簡がまとまったところで、折りよくルークが戻ってきた。最上階から見える景色が良かっただの、海鳥が近くまで来ただの、まるで観光のように頬を上気させている。
もしかすると緊張しているのかもしれない。彼は還ってきたルーク・フォン・ファブレを知らない。あの夜に私たちが見た彼を、果たしてアッシュと呼んでいいのか。私は未だに判じられていない。
少し考えていると、ルークがポットから慎重にカップへ白湯を注ぎ、飲んで、椅子へと座った。動いたから熱い、と宣う子供に、私は、手袋を外してその額に掌を当てる。
「うわっ」
びく、と動く肩を無視して少し汗ばむ肌に触れた。運動量から発せられる熱を考慮しても少し熱い。やはり緊張か、心因性のもので熱が上がっているのかもしれない。そうなると薬は効かない。
「また熱出てるのか?」
これは言えば本当に悪化するだろう。私は頭を振った。
「いいえ。動いたからでしょう。ここのところ連日熱が出ていたので、私も過剰に反応してしまいました。艦内は基本的に締め切っていることが多いので、自然気温が高くなる傾向にあります」
「そっか。……暇だし寝てようかな」
「大人しくすれば熱も下がるでしょう」
「その言い方やめろ。子供扱いだろ」
子供ではないのか。思って口にしない。もう窓の外は暗くなり始めていて、夕食の時間ではあったが、伝達管でこちらは不要であることを告げる。簡単な携行食なら持ってきているからおかしな時間に目が覚めたとして問題はないだろう。
念のため、と称して脈を図るが、少し早いくらいで許容範囲だった。やはり心因性か。眠れるよう窓のブラインドを閉じ、部屋の電気を暗くした。
「悪い。ジェイドは起きてるだろ」
「私も寝ます。陛下の相手で疲れましたので」
「陛下、陛下さ、すげーびっくりしたんだ。ガイんちから戻ってさ、オービルが昼飯出してくれたから、ガイと一緒に食べてたらさ、急に来て、ガイには仕事言いつけちまうし、ジェイドんとこ行くぞって、……馬車用意されてて、乗せられて、ジェイドが来るまで、ソファでさ、音素帯ってどんな感じだったんだとか、そういう……」
ぽつぽつと話しながら、段々と神経が落ち着いてきたのか、眠そうな声になっていくのをベッドの上で聞いていた。テーブルをはさんで部屋の壁沿いに二つのベッドが据えられている。
「それで、……」
「もう眠りなさい、ルーク」
目が覚めればバチカルだ。それを自然恐れて眠りたくないのかもしれない。それでも、酔い止めと動いた効果もあってか、やがて静かな寝息が聞こえるようになった。久しぶりの感覚だった。旅をしていた時分は、同室で寝るなど当たり前でしかなかったのに。ルークは結局眼帯をしたまま眠ってしまった。着け心地が良くて軽いのも過ぎれば考えものかもしれない。
翌朝までルークは目を覚まさなかった。起きれば何のことは無い、いたって体調は問題無さそうに見える。私はと言えば、一度夜中に目を覚まし、ルークの様子を見て、大丈夫そうかと二度寝を済ませていた。
昼前にはバチカルの港へと着き、私達とその荷物が兵士たちによって降ろされた。迎えに出てきたのはセシル中将で、一小隊を率いた仰々しいものだった。
「陛下よりお二人の警護を仰せつかりました。ご滞在には宮殿をご希望されないとの旨、お伺いしております。僭越ながら宿泊施設を手配いたしましたので、何卒そちらにご案内をさせていただければと」
「承知いたしました。折角の申し出をお断りしてしまい恐縮です。案内についてもよろしくお願いいたします」
ルークがセシルを見ているのを感じる。そしてセシルも、表情は変えずとも、ルークを見ているようだった。かけるべき言葉は見つからなかった。消えたレプリカを復活させる術があると知って、彼女は一体何を思っただろうか。
バチカルの中でも豪奢なホテルを手配されていた。旅の時分では泊まったことの無いものだった。ケテルブルクほどではないにしろ、恐らく重鎮やそれに類する貴族などが利用しているのだろう。
通された部屋をきょろきょろと見て回るルークは落ち着きがない。これはホテルの物珍しさよりも、恐らくは居心地の悪さが関係している。また熱が出るかもしれない。
「ルーク、セシル中将に話があるので、貴方は少し部屋に居てください」
「おう、……分かった」
外に出すよりも中に入れておいた方がいいだろう。ルークは私が彼の両親への謁見に関する伺いを立てるつもりだと考えているのかもしれない。
警護、というのは事実らしく、私たちの部屋の前には両脇に二人の兵士が警備態勢で立っていた。セシル中将と対面する。廊下には私たち以外誰も居なかった。
「お久しぶりです、カーティス中将」
「お久しぶりです。……シュザンヌ様のご様子は如何ですか」
「お心配り感謝いたします。書簡が届けられてから、今日の朝まで御労しく寝込んでいられました。書簡を読まれた方は、……事情を伺いました私を含め、動揺が大きく、ここ数日やや緊張が高まっているのは否めません」
「恐れ入ります」
「ですが早急に謁見へお越しいただけたことには感謝いたします。本件に関してはなるべく早い対応がより良い結果を生むでしょうから」
「それについては同意いたします。ところで、本日中にルーク伯爵のお邸へ向かうことは可能でしょうか。そちらのお伺いについてお返事を待たずに参った次第でして」
「勿論です。もしよろしければ今すぐにでもお連れできますが、如何いたしますか」
一瞬考えを巡らせるが、僅かに首を横に振る。
「少しだけ時間をください。彼に話をしなければ。そうですね、早くて一時間後でも構いませんか」
「承知いたしました。この者たちが控えておりますので、ご用意が出来次第お伝えください。私は先行して宮殿へと向かいます。門の前にてお待ちしております」
きびきびとした態度でそう答えると、敬礼し、セシル中将は去っていった。私達の警護に彼女をあてるあたり、キムラスカの王もいい性格をしている。純粋に知らないのかもしれない。ナタリアは何も言わなかったのだろうか。
部屋に戻り、そわそわとソファに座るルークへ、「謁見が通りましたよ」と告げれば、船を降りて以来ようやく表情が明るくなる。船では比較的温和に対応してもらえたのか、楽しそうにしていたのだが、船を降りて育った国であるはずのバチカルの地を踏んでからはまたずっと黙して目を伏せがちだった。
「ありがとな」
また礼を言われる。私はそれをやんわりと流し、荷ほどきを終えてから出発すると伝える。ルークが自分の寝室へと向かった。複数ある寝室の内どれを使っても構わないのだが、私がセシル中将と話している間に勝手に決めていたらしかった。こういうところは旅の頃と変わらない。
自分の荷ほどきを終え、リビングルームに出るが子供の姿はない。隣であるその寝室のドアをノックする。
「ルーク。そろそろ出ますよ」
「あ、ああ。分かった」
何か焦ったような声音だった。出てきたルークはオービルから受け取った上着を身に着け、フードを被ったままにしている。私はそれの上部を摘まむと、するりと下ろして脱がしてやった。
「もうフードは不要ではありませんか」
「ああ、いや、その。なんか被り慣れてくると外してたら落ち着かなくって。……あとさっき、ちゃんと鏡で見てみたら、俺、本当に右目見えてないんだなって、思って」
下ろされたフードが再度被られる。隠したいのだろう。隠れたいのかもしれない。いよいよとなれば緊張もしてくるのかもしれない。私にはその感覚が理解はできても共感が出来ない。だから何も言わないことにした。行きましょう、と言えば、子どもは大人しくついてきた。
警備として立つバチカルの兵士に声をかける。馬車が呼ばれ、高層に入り組んだ城への道手前までの距離を揺られて移動する。酔い止めを飲むかと尋ねたのだが、要らない、と断られた。緊張は何にも勝る薬になっているのかもしれない。