ことほぎのみち
俺の解呪は遅々として進んでいない。
御手杵はといえば、「なんかちっさくなったな」という言葉通り、顔に浮かんでいた墨色の痣があの一件以来ゆっくりと小さく薄くなりつつあった。それを喜んでいるのが鯰尾で、よくもあんな目に遭って今まで通り振舞えるものだと思うが、曰く「気を失っていたので何も覚えていない」らしい。故に何も禍根は無いのだと。ただ、周囲の心配した様子や、自分以外の粟田口が同様の被害に遭えば怒るだろうとも御手杵と話していた。何にせよ概ね然程変わらない態度で槍と脇差は今日もバドミントンをしている。
五虎退の仔虎がこちらをみて、おびえたように少し後ずさると、やがてどこかへと走っていった。ここのところ鳥、馬からも避けられているのを感じる。主の反応も芳しくなく、解呪どころか時折身代わりの人形で撫でられ、応急措置をされる程度には弱々と悪化しているのだと知れた。
「夢を見る」
もう隠せないと思った。主は俺から言い出すのを待っていた。それすら解っていながら、夢にまでみるのだと告げるのが恥だと思えば言うのは憚られた。しかしもう潮時だろう。主の室、山姥切を外で待機させるのを条件に話したいことがあると告げれば静かに刀は席を外していた。
「前の本丸とその主の夢だ」
「……確か、政府により解任となったと」
「そうだ。本丸と刀を危機に晒した。本丸は解体され、……そうされずとも、かけられた火で全て焼け落ちた」
俺の前の本丸はもう無い。元の主はもう審神者ですらない。俺をのろい、全てをのろい、現れた政府管轄の者たちによってあらゆるものを奪われてこの界隈から追放された。前本丸への時間遡行軍の襲撃は、ともすれば本丸というものがどのような存在かを相手方に知らせてしまう恐れもあった。何故本丸の位置が判別されたかは分からない。ただ、襲われたのは事実だった。
前の主は善良な人間ではなかったのだと思う。聖人君子とやらも普通の人間の道から外れているとして、今思えばあの人は違った意味で道を外していた。心根が歪んでいた。己の欲に恐ろしいほど正直だった。刀の中でも燭台切光忠を寵愛し、こちらはその手を完全に払いきれないのだと解った上で、光忠を常に傍に置いていた。
本丸襲撃の際も近くにいたのは光忠だった。俺は、他の刀が折れるのを見ながら、主の力でどうにかならないのかと薄い期待だけを持ち助けを乞いに向かっていた。そこに光忠がいることも解っていた。そして回廊を渡る道すがら、主の控える室への攻撃の音を聞いた。
火が爆ぜているのは時間遡行軍が持ち込んだ松明によるものだった。夜半の襲撃だ。結界は破られ、群れた敵になすすべもなく、俺はまだ納めたままの本体を握りながら、襲われた主の室、既に襖などないそこへと足を踏み入れる。
光忠が倒れていた。きっと、あれは折れていた。そしてそれを搔き抱く主の形相は人のそれではなくなっていた。光忠も抵抗したのだろう、いくらか倒れていた時間遡行軍が灰と散り、負傷した敵が幾らか残る中、新手が俺の背後へと降り立つ。
「大倶利伽羅!」
主の声が響く。ここで立っている刀剣男士は俺だけだった。気配があって振り返り見ればそこかしこに敵がいる。本丸の刀は皆既に倒れている。やがて全て、本丸とともに葬られるだろう。
「敵を屠れ!!」
まるで普段と異なる声だった。ゆるゆると俺の腕の彫り物が動き、龍の尾が、肘を超えて体中を這うように動いているのだと知れた時、ぞっとし、無様にも己が震えているのが分かった。
背後で主が立つ音がする。どさ、と落ちたのは光忠の体だろう。死んだら終わりか。俺たちは、その扱いか。怒りがこみ上げ、しかし、腕に巻き付く龍がぎりぎりと俺の体を締め上げるのだ。
「屠れぇ!!」
怒号。ち、と音を鳴らして俺は抜刀した。この状況が覆るわけがない。闇から敵は湧いて出る。俺も既に傷を負っていた。
それでも。それでも、体は主たる審神者の命に縛られている。顕現された縁は太く強い。抗いきれない。唸り声を上げ、覚悟を腹に据え、向かいくる敵に切っ先を向ける。
そこまでの鮮明な記憶が何度も夢で繰り返されていた。寝ては起き、眠れず、体が疲労で横になれば、また夢を見る。何度も、何度も。まるで忘れる事を許されないかのように。これすらのろいだとでもいうのだろうか。
「前の……本丸での、最後の時を夢に見る。数日まともに眠れていない。あんたの力が抜けていくのを感じる」
「……それは私も感じています。あれほど良い兆候を見せていたのに。……貴方の前の主については政府から聞き及んでいます。力の強い方で、感情の起伏が大きく、それによって力の制御がままならないこともあったと。……貴方ののろいにも関係があるのかもしれません。何か、強く感情的になるような原因は思い当たりませんか」
尋ねられて、すぐに思い浮かぶことがあった。今の主は聡い。恐らく見抜かれている。
「……ある。だが、言いたくない」
「分かりました。では、私の助力なくそれは解消できるでしょうか」
俺は俯いた。分からなかった。なんと答えれば良いのか、出来るのか、どうすれば良いのか、何も分からない。ただ体の重みだけが増していて、息苦しさや、まるでこの本丸を拒絶するような心地さえ感じている。何故。余程あの頃より穏やかな場所であるのに。
「……分からない」
「貴方の力になれるものはいませんか」
「分からない」
怒りのような声で答えてしまった。主こそ、手があるのならば既に打っているだろう。今の状況は己の身の振りによるものだ。切っ掛けなど。とうに分かっている。
この本丸を拒絶しているのではない。恐れているのだ。離れたいとさえ思っている。それは自分ののろいの力が何によるものか分かっているからだ。
「……」
言葉は無くなった。やがて、主が人形で俺を撫でて応急措置を行う。情けない以外に何があるのか。俺は室を出た。
襖の向こうには山姥切がいた。出てきた俺にはっとして顔を上げる。俺は一瞥し、何かを問われる前にその場を離れた。息苦しい。その根源は一振の刀と俺の心持ちでしかない。
あれ以来山姥切を見るのがつらかった。
何が、というのは口にもできないが、とにかく、同じ場に居たくないと思ってしまう。居心地が悪い。あの青い目に、布の向こうから覗かれていると思うと、優越感と逃げ出したい気持ちになる。これは何なのか。解っているから飲み込みたくなかった。
巣食うのは暴きたいと思う身勝手な望みで、それは前の審神者が常に持ち続けていた乱暴な感情と似た性質のものなのだろう。
欲しいと思う。この本丸の山姥切国広を。
どく、と心臓が脈打ち、腕がぎりぎりと締め付けられる心地があった。見れば彫物がぬらりと動いている。のろいだ。恐らく前の審神者ののろいはこの龍にかけられている。そしてこの龍は俺の強い感情に呼応してのろいを強めている。俺のそれをまるで餌とするように。
俺が平らかであればいい。何もなく、波も無く、均された地面のように凹凸の無い。
けれどそれはもう無理な話になってしまった。それがわかってしまった。俺はこの本丸の山姥切にかき混ぜられている。異なる本丸の山姥切が、別の刀のものであるのを見ただけで嫉妬するほどに。
その声で俺の名を呼んでほしかった。
あの時のように俺に触れてほしかった。
その他のことなどどうでもよくなるくらい、俺は、俺の考えなど、お前は。
「大倶利伽羅」
名を呼ばれる。顔を上げるとそこには山姥切がいた。竹の長椅子に座る俺に、生け垣をかき分けてこちらへと向かってくる。
「何の用だ」
「……主の、気配が薄まっている。ここのところあんた、具合悪いんじゃないのか」
「放っておいてくれ」
片膝を立ててそこに腕を置き、額を伏せるようにして顔をそむける。縋るような言い方になったのは屈辱だった。だがそれほどまでにこの刀に近寄りたくなかった。自分の感情が動くのを感じる。それに応じて、左腕の龍が軋む。
「分かった。ただ、これだけ受け取ってくれないか」
長椅子の端の方へ、山姥切が何かを置いたようだった。薄目を開けてみればそれはいつか見た飴を包んだ畳み紙で、苦しさが募って溜息をつく。胸やけでもしそうだった。
それを察したのか、あちらの声が慌てたようなものになる。
「これはハッカ飴だ。スッとするから気持ち悪さも消えやすいと思う。前のものよりは甘さもそれほどないし、だから、その、短刀なんかにはあまり人気が無いんだが、俺はこれが一等好きだ」
のろのろと頭を動かして、もう一度置かれたその包み紙を見る。「あんたにやる」。それだけ言って、山姥切は去っていった。俺に審神者の力を注ぎたいのだろう。癇癪のままに飴を散らすことも考えたが、それはあまりにも短絡的過ぎて、みじめで、はあ、と深く息を吐く。風が葉を擦る音だけが聞こえる。仕方なしに手を伸ばして、置いていかれた包み紙を開いた。
白く濁った小さな飴を、一粒摘まんで口に入れる。すう、と息をすると口の中が冷えるようだった。体の重さや気分の悪さが確かに払しょくされる気さえする。
飴を手にしたまま、長椅子の上で座ったまま、天を仰いだ。晴れている。こんなに眩しく心地よい時節であるのに気が晴れない。口の中の飴は確かに胃が重くなるような甘さはしなくて、一等好きだと言った山姥切の声が耳に残っている。誰か笑えるものなら笑ってほしいと思った。たったこれだけでこんなにも俺は喜んでいる。
ある朝。その日は目覚めからして最悪だった。
腕を締め付ける痛みで覚醒した。見れば、ぎりぎりと龍の身が俺の腕を締め上げている。まるで忘れるなとでもいうように。己の身に何が巣くっているのか。何が下ろされているのか。
龍がのろわれたから何だというのか。こいつを解呪しない限り俺の身は本体には戻されないのだろう。もしくは刀解されるか。否か。簡単な答えすぎて悩むこともできない。
身支度を整えて外に出ると、何やら慌ただしい気配を察した。何となく以前、御手杵が暴走した時と似ているような、そんな気配がしたのだが、どうやら違うらしかった。
「同田貫さんが鍛刀されたんです!」
大きな目をさらに大きく見開きながら秋田が言う。広間に集まった面々が、近侍として鍛刀を行った山姥切の手から見覚えのある一振りの打刀を手に取った主を囲っており、その中心で力を起こして刀を励起させるのを見守っている。
しかし何も起こらなかった。随分かかるのだ、と思ってみていれば、段々と周囲の顔色が悪くなるのを感じ取っていた。やがて主が
「起きませんね」
と零したことで、これは失敗したのかと分かった。
「で、でも! 同田貫さんが鍛刀出来る事が分かりましたし、次の刀で御縁が結ばれるかもしれませんよ!」
必至に乱にそう告げる秋田がつらかった。乱の手を取る平野と、「そうだね」、と小さく返す乱の姿に、俺は見えていなかったものがあったのだと気づかされた。
「気配はあります」
とは主の言葉だった。
「この刀はまだ刀解に回さないように。暫く本丸に置いて様子をみましょう」
「分かった」
主から同田貫の刀を受け取り、山姥切が立ち上がる。俺は主を囲わず広間の入り口にいたものだから、出るすがら山姥切とすれ違った。僅かにこちらへと顔を向けていたようだった。
そろそろと輪が崩れて皆が解散していく。
「乱」
呼ばれて乱藤四郎が主の傍へと膝をつく。
「良ければ時折呼んであげてください。縁の糸は細く頼りのないもの。どこかで少し迷い子になっているのかもしれません」
「うん。……うん。ありがとう、あるじ様」
出て行った乱は山姥切と同じ方向で曲がっていった。俺は、丁度朝の彫り物のことを話そうとその場に残っていた。
「主、」
呼んだ瞬間、どくり、と心臓が強く打った。審神者がこちらを振り返る。それは俺が呼んだからではなく、明らかな何かの察知によるものだった。
「……大倶利伽羅!」
名を呼ばれている。それは解っていた。しかしそれが酷く遠くに聞こえて、まるで水の中で聞こえるような、一つ膜の向こうで呼ばれたような、そんな奇妙なゆがみ方をしている。
「大倶利伽羅」
はっきりと聞こえる声だった。これは前の主の声だった。俺は、ゆっくりと振り返り、縁側向こうにある中庭、そこに亡霊のような影があるのを、見た。
ど、と汗が吹き出し、腕がぎりぎりと締め付けられ、見れば、腕の龍の彫り物がおどろおどろしく動いていた。これがのろわれているのだとしたら、そののろいが動き出したら、果たしてどうなるんだろうか。
どうして俺がのろわれないといけないのだろうか。
力が水底から湧き出る泉のように膨大に膨れ上がっていくのを感じる。清廉な、この本丸に満ちる力とは異なる、前の本丸の、黒く禍々しい強い力。その発端が自分の心臓付近であると、誰に指摘されるでもなく何故か知ることができていた。おぞましい。思わず縁側から駆け降りる。俺の姿が武装した戦装束にいつの間にか変わっていた。
「大倶利伽羅!」
審神者の声がする。あれはこんなにも大きな声が出せたのか。場違いにもそんなことを思いながら、体が自然、本体を抜刀するのを感じている。意志がどこか頭後ろへと追いやられたまま、まるで他人事のように俯瞰で周囲を見る事が出来た。その場に残っていた大和守と五虎退が抜刀し、その足元で仔虎たちが俺に毛を逆立てている。まるで見覚えのある光景だった。まるであの日の御手杵のような。
主の拍手(かしわで)がひとつ、鳴った。力を使うのだ。何に。誰に? そんなこと言われずとも判じている。俺は俺が切っ先を、一人と二振りへ向けるのを、体の感覚がないのにそうするのを、眺めていることしかできない。
やがて一度去っていた刀たちが戻ってくる。日本号、歌仙、大包平が抜刀した。しかし練度の差があるというのに、こうも恐れる気持ちが湧かないのは何なのだろうか。これからも続々と残る面々が戻ってくるだろう。それでも心の中が平らかだった。頭の中では常にあの声が聞こえ続けている。
敵を屠れ。
敵。敵とは。目の前のそれか。そんな筈は。
主の、紙で切られた人形(ひとかた)が俺の周囲を取り囲み、幾重にも飛び出してきて左腕へとまとわりついた。これは攻撃を阻止する動きではない。主はのろいを止めようとしている。頭の片隅、ガンガンと鳴り響く声の向こう側で、俺は、かろうじて残っている意識で、ここで折れるんだろうかと思った。
黒々としたものが俺から煙のように吹き出ていく。おどろおどろしい様相をもって、周囲に悪意をまき散らしている。思わず歌仙が顔を覆った。刀剣男士には何か影響が出るのかもしれない。
「……っ! 大倶利伽羅! やめろ!」
は、と短く息を吐いた。現れたのは戻った山姥切だった。その後ろには起きない同田貫を抱えた乱がいる。既に抜刀した面々に山姥切が加わる。主の傍ら。それがまるで合図のように、ばちん、と左腕を覆っていた主の人形は引き裂かれ、焼け落ちて、俺は姿勢を低く構えると、ぐ、と足を踏み込んだ。
一突きに山姥切を狙う。しかしそれは受け流されて、踏み込んだ力そのまま、山姥切諸共広間の中へと勢いよく突っ込んでいった。
襖の折れる音がする。吹き飛ばされた山姥切が難なく受け身を取るのを見ながら、次の一閃を浴びせにかかる。流れるような所作で躱される。この刀が欲しい。きん、といなされた音が鳴る。山姥切は強く、立ち回りは賢く、受け止めることは無く何度も攻撃は届かなかった。そのたびに主の人形が飛んでくるが、俺から吹き出る黒い煙がその全てを焼き払っていく。ばさばさと倒れるのは広間の襖ばかりで、畳は幾らでも刀傷を負った。
常に誰かの声が聞こえていた。それは前の主の声に勝つことは出来ず、何を言っているかまでは聞こえなかった。ただ目の前にいる山姥切が、呼吸を整えながらすべての意識を俺へと向けている事には優越感があった。襤褸布が翻り顔が見えている。青い双眸。その色に焦りはなく、ただ冷静に俺の攻撃を防いでいる。
やがてまともに一撃を食らわせることができた。山姥切の体が飛んでいく。
「山姥切さん!」
そう、こいつの名を呼ぶ声がしたから、やたらとはっきり耳に届いた。振り返る。同田貫を持った乱がそこに居る。今こいつを呼んだか。そう思えば、切っ先の向きがそちらへと向いた。
「あっ、」
「……乱!」
警告の山姥切の声が俺の速度に拍車をかける。乱は戦装束に代わっていなかった。同田貫を抱えていたからだろう。ぎゅ、と身をこわばらせる乱の姿と、刹那、閃光のように一瞬の眩さが俺の目をくらませる。
「……これは名乗りを上げてる場合じゃねぇってなぁ」
桜吹雪が辺り一面に舞う中、既に抜刀し、応戦態勢で顕現したのは、真っ黒な質実剛健の刀だった。
「同田貫さん!」
乱の声がする。俺の刃が同田貫によって防がれる。何合か打ち合い、つばぜり合いになりかけたとき、俺の背後から気配が飛んできて、咄嗟に避けきることができず突進をもろに喰らってしまった。
山姥切だった。そして大量の主の人形。縁側へとはじき出されながら、俺の体から噴き出す煙が、山姥切へと静かに吸い寄せられていくのを見ていた。
「主!」
「……致し方ありません」
近侍の一声と、拍手がひとつ。人形たちが俺の周囲を取り囲んだかと思うと、黒々とした煙を巻き上げて、そのまま山姥切へと向かって行く。俺は俺の心臓が嫌な打ち方をしているのを感じていた。何をしている。何をしている!
「おおおおおおおっ!」
声を上げ、構え直し、乱を庇う同田貫から山姥切へと切っ先を向ける。何をしている。その煙に触れるな。きっとあれはのろいだった。
一枚の人形が山姥切の胸へと貼りつき、すう、と消えるのを見ていた。途端、その一点をめがけて切り離された俺からの禍々しいものが酷い勢いで山姥切の中へと入りこんでいく。やめろ、と思いはするのに、声は出なかった。今俺の体は俺の意識の支配下になく、ただ目の前で起こっているその光景を見ていることしかできないのだ。
どく、と心臓が強く打った。ぎちぎちと締め上げる左腕の痛みと、改めてそこへ貼りついてくる主の人形を見下ろした。燃えなくなっている。山姥切に持っていかれた。見れば、そこへ立つ山姥切も、戦闘の疲労なのか黒い煙の重さからか、両腕がだらりと下ろされ構えが解かれていた。顔が俯いている。襤褸布の向こうの表情は見えない。
段々と。……段々と、意識がはっきりとしていくのを感じていた。相変わらず左腕には人形がまとわりついているし、酷く気分は悪かったが、がんがんと響いていた敵を屠れと叫ぶ前の主の声は聞こえなくなっていった。そして体の重さが戻ってくる。指先に至るまで、俺自身が俺の身を動かすことが出来るようになっていく。
「……何をした」
思わず出たのはその一言だった。その場にいる全員が、全てを把握している訳ではなかったのかもしれない。それでも、恐らく主と、山姥切だけは、いま何を起こしたのか解っているのだろうと知れた。
そして意識が遠のいていく。疲労、脱力、血を多く失った時の感覚に似ている。そして少し離れた場所で、もう一つ、何かが倒れる音を聞いた。