ことほぎのみち
主が本丸から離れることは無い。だが、外に出なければならない用が起こることがある。例えば政府からの呼びつけ、例えば同じ審神者同士での会合。前者の際は本丸の出陣は全てとりやめになり、全員が本丸にいる状態で、主の依り代が留守の間本丸に据えられることになる。らしい。俺が顕現してからはまだそれに当該することは起こっていない。後者の場合、依り代を張り付けた刀剣男士が代わりに他本丸へと向かうことになる。その依り代を介して会うのだと。そしてこれも俺は遭遇したことは無かった。ただ、大概においてその役目を言いつかるのが近侍である山姥切国広であるとは博多藤四郎から聞いていた。
「大倶利伽羅。少しいいか」
奥庭のはずれ、伸びた草の絡む竹の長椅子に座る俺に、山姥切国広が声をかけた。
非番だった。特に何をするでもなく、目が覚めたから体を起こし、御手杵や大包平のように短刀連中の相手に絡まれるのも億劫で外に出ていただけだった。ここは鬱蒼とした茂みがあるせいか、もとよりそれほど誰かが近寄ることは少なく、よく身を隠すために訪れている場所だった。以前、飾るつもりだろう、花を切りに来た歌仙と遭ったことはあるが、互いに目があっただけで、あちらは数本の紫陽花を切ってそのまま去っていった。以来誰かが来るわけでもないのだから、歌仙が何か言ったということも無いのだろう。
「何だ」
「主から用付けを賜った。なじみの審神者の本丸へと赴く。それにあんたを同行するようにと」
「……何故俺だ」
「指名らしい。俺も知らない。四半刻後に大門の前で待ち合わせよう。戦装束で、本体も挿したままで構わない」
それだけ言って去っていった。そういえばあいつはどうやって俺がここにいると知ったのだろうか。俺が見ていた限りでこの場に山姥切が訪れたことは無かった。歌仙か。嘆息して、長椅子の後ろに立つ竹壁に背を預ける。用付で外に出るのが嫌なのではない。この本丸の刀として、他の本丸へ行くには俺が相応しいか等分からないのだから、それが殊更気を重くさせるだけだ。
大門前。向かえば既に山姥切は待っていた。遅れてきたわけではないのだから何も言わずにいると、向こうも無言で門を潜ろうとする。その先は主の力により別の場所へと続いている筈だ。二振して何も言わないまま、空間の歪められた大門の外へと出る。
「大倶利伽羅だ!」
若い審神者。本丸の主は女だった。あまり得意な相手ではなかった。得意な相手などそういないのだが。
年の頃は人間であれば二十は超えていないだろう。着ている装束は神子に似たものであるのに、本人のもつ明朗な気配がその厳かさを払しょくしている。長い髪を後ろで束ね下ろし、山姥切への挨拶もそこそこに、不躾にこちらを眺めてくる。
「ああ、師匠、まんばちゃん、ありがとう! ごめんね無理言って。いやあ、いいなあ。私も大倶利伽羅顕現したいなあ。でもなかなか御縁に恵まれないんだよねえ。こればっかりはどうしようもないんだけど」
傍に立つ近侍らしい加州清光が中へと己の主を促す。それで思い出したようにようやく本丸へと通され、応接用らしい小さな室へと一人と三振が入る。慣れているらしい山姥切に対し、俺は果たしてどうしたものかと思っていたのだが、視線や仕草で山姥切がひそかに指示を出すから、やや癪に感じながらもその通りに隣へと座する。
山姥切が懐から依り代を取り出した。あちらとの間に置かれた卓へとそれを置くと、うちの主の力か、すう、と人型に切られた依り代が一人でに立って、若い審神者が居住まいを正した。
『お久しぶりです』
「お久しぶりです師匠!」
主の声が聞こえる。まるでそこに存在しているかのように。二人が話す間、俺と山姥切は何をするでもなくそこに座っていた。それはあちらの加州も同じで、目が合わないよう極力卓や主の依り代を見るようにする。やがて重要な要件は終えたのか、少しの雑談になり、途端あちらの審神者の顔がぱっと明るくなるのを見た。
「師匠、今日はありがとうございます。眼福ですよう、やっぱり伊達の刀は目の保養です」
『貴女はまだ少し世俗に寄っていますからね。今顕現している刀剣達にもよくよく目を配るように』
「それは勿論です! うちの清光が一番ですから! でも実を伴う保養と、伴わなくても必要な保養はありますよう」
『彼も私の本丸に来てまだ少しですから、あまりいつもの様子で飛び掛からないように』
くすくすと。あまり聞いたことの無い声音で笑う主の気配は希少だった。まるで親子のような。兄妹のような。人の繋がりの種類など然程理解できていないのだが。
「でもお会いして感じました。大倶利伽羅さんののろいは師匠程でないと手に負えませんね。私ではとてもとても」
「そうなんだ」
加州清光がこちらを見て問う。俺も知らない。無意識に山姥切を見るが、山姥切もこちらを見ていたようで、見えた奥の片目だけと視線が合う。
「そうなのか」
「知らん」
何故俺が問われるのだ。場の空気を察して若い審神者が言う。
「でも、いい感じには向いているみたいです。流石師匠。流石まんばちゃん」
「……俺は関係ない」
「ありますよう。師匠や私のような力の種の場合、審神者の総力は顕現した刀剣男士の数やその練度に比例して上がります。……とは師匠から教わったことですが、とにかく、師匠の本丸の刀数で、これだけの力を保持できているのはすごいことです! 私たちも頑張らないとね、清光!」
「任せてよ。主」
穏やかに答える加州清光を見る。目が合い、す、と笑むように目を細められた。こいつも練度が高い。前の本丸に居た刀とはこいつも随分印象が違うのだ。
「そうだ、師匠に相談したいことがあるんだった。清光、お二人に本丸を案内してくれる?」
「了解」
つまるところ席を立つべきなのだろう。主の依り代と若い審神者を残し、三振が応接室から出た。さて、と腰に手を当てた加州清光が山姥切を見る。
「国広はうち見たことあるよね」
「ああ」
「じゃあ復習になっちゃうけど。あれから増えた仲間もいるから、まあ見かけたら声でもかけてくか。大倶利伽羅も適当に見てってよ」
主の依り代と伴でなければ本丸には帰れない。この二振についていくしかないのだろう。
随分と広い本丸だった。前の本丸ほどではないにしろ、手狭で、と主自らが宣う今の本丸からすれば倍ほどの規模はあるように見える。時折すれ違う刀は以前見たものたちで、ただ、纏っている霊力が異なる事が明らかに伝わっていた。それに全員に暗い影を感じない。以前の本丸がどういう場所だったのか、比べるものが現れてようやく理解できるようになってきている。
「うちはそっちに比べるとまだ刀は多い方かな。あんまり希少なやつはいないけど、来派が三振揃ってたり、三池や三条も全員ではないにしろ顕現出来て力になってくれてるよ」
途中、出陣の概要を知らせる掲示板が貼られていた。そこに記された名前を懐かしむほどには俺にも余裕が出来てきているらしい。鶯丸。あれほど口癖のように「大包平」の名を口にしていたこいつがいないのに、当の大包平だけが在る今の本丸に少しの違和感を感じているのは俺だけなのだろうか。
「えっと、たぶん今は五十振くらいかな。うちの主の浄化は効く効かないがはっきりしててね、近しい力を持つ刀しか浄化できないんだ」
「神社の子だったか」
「そうそう。だから例えばうちだと石切丸は、のろいを持ったやつでないと下ろせない。まあ神格や力が強い刀がうけたのろいなんてまだまだ浄化しきれないから、結局至極限られた刀しかうちには来れないんだけど」
伊達が来ないのは別ね、と付け加えられる。純粋に縁が遠く、なかなか顕現が出来ていないだけなのだと。
「ざっくり見たけど、こんな感じかな。居住棟は俺のしか見せらんないけどちょっと変わってたでしょ」
個人の部屋と広間があった棟を指さし加州が言う。短刀にも個室が用意されているが、大概は広間に布団を敷いてみんなで寝ているのだという。その代わり個人用の室の広さはうちのほうが大きいようだった。
「本丸によっていろいろだよね。うちに下りてきた奴らからもいろんな話が聞けて俺もそういうの楽しいよ」
そう言いながら俺には尋ねてこなかった。尋ねられても答えるつもりはなく、それを察されたのか、聡い刀なのか。どちらもかもしれない。
途中、厠を借りたいと言えば軽く道を案内された。向こうで待ってるから、と中庭を示されてから厠に向かう。
一人になりたいだけだった。どうやら今回の俺の役割は、若い弟子に頼み込まれた師匠が断り切れずに顔を見せさせに来た程度だろう。気分が悪かった。これは心持の話ではなく、近しいとはいえ異なる霊力に晒されているからだろう。無意識に腕の龍を見る。彫り物が動く気配は無い。そも、動くものでもないだろうに。
何もせず手だけを洗って厠を出る。すると、中庭に面していない方、奥側の庭に二振の刀が立っているのが見えた。
山姥切国広。中庭はあちらではなかったか、と思いすぐに、あれはうちのではないと気づく。霊力が違う。練度も違うようだった。後ろから見れば正しく布の塊で、草むらの向こうに座った体躯が少しだけはみ出て見えているようだった。そしてもう一振は、三条の三日月宗近だった。どく、と心臓が鳴る。前の審神者が欲してもなかなか現れず、無理な出陣を繰り返していた折の記憶が蘇る。
二振は俺に気づいておらず、あの草むらは桑か、どうやらその実を摘まんでいるようだった。天下五剣と堀川の傑作とやらが屈んで桑の実を食っている。気の抜ける光景だと思い、中庭へ向かわなければと思い出したとき、三日月宗近の、手が、何かの意図をもって山姥切へと伸ばされた。肩へと触れている。そのままするりと首元、頬に掌を当てる様子は自然な風で、それでいてあの山姥切が嫌悪を見せていないのが遠目にも分かった。三日月が笑んだのが見えた。顔が近づく。
俺は踵を返して回廊を進んだ。中庭に向かって少し速足になる。気分が悪かった。居心地の悪い場に居合わせた事と、それがともに来ている山姥切国広であることが、気分の悪さに拍車をかけたようだった。開けた場所に出る。花々の植えられた庭が突如として現れる。
「……っ」
「大倶利伽羅。……どうした」
縁側に並んで座る加州と、俺にそう尋ねてきた山姥切と。それを見た時、自分が走っていたのだと気づいた。それはどうしたとも尋ねられるだろう。俺も良く分かっていないのだが。
「……何でもない」
「顔色が悪いな。あんたも休め。主の弟子とはいえ別の本丸だ、少し力が合わないのかもしれない」
布の中に手を入れながらうちの山姥切が言う。やはり手馴れている。俺以外にも同じように気分を悪くした刀が過去に居たのだろう。……こいつはどれほどあの本丸にいるんだろうか。不意に思ったところで、山姥切が懐から取り出したのは小さく紙を畳んだものだった。そろそろと広げられたその中にいくつかの飴がある。飴。短刀相手でもないだろうに。
「主の霊力が込められたものを摂るとだいぶ楽になる。あんたは甘い物苦手だったと思うが、悪いが今はこれしかない」
す、と差し出され、一瞥し、仕方なしに一粒摘まんだ。口に含むと砂糖の味がして、それだけのことであるのに、すう、と胸の中の重みが軽減していくのを感じる。思わず驚いて瞬きをする。
「……良かった。ちゃんと回復できるみたいだな。あんた、本当に顔色がひどいぞ。無理に連れてきて悪かった」
「ああ、いや、それに関してはうちの主の我儘だから。謝るのはこっちの方。ごめんね」
加州にそう言われ、バツが悪くなり視線を外して庭を見る。これらはこの季節に咲く花だっただろうか。
促され、座りたくはなかったが体が重く、嘆息して二振から少し離れた位置に腰を下ろす。鳥が鳴いている。俺の具合の悪さと対照的に、居心地の良さそうな佇まいの庭を見ながら、加州が山姥切と途切れながら会話を続けている。
「主が景観変えるの好きでさ。たまに季節がわけわかんなくなるけど、やっぱ庭が綺麗なのは気持ちいいよね」
「うちはあまり変わらないな。時期からかけ離れた景観は主が好かない」
「その辺うちの主も自由だよね」
この前雪降らせてさ、と話す二振の声を聞きながら、段々と眠気が襲ってくる。陽のあたる縁側は気持ちの悪さを差し置いても目蓋を重くするらしい。船を漕ぎそうになるのを堪えながら欠伸を噛んでやり過ごす。遠くで短刀の遊ぶ声が聞こえた。これはどこの本丸でも同じなのか。
「大倶利伽羅」
呼ばれ、目が覚め、体が反射的に本体へと手を伸ばす。寝ていた。油断した。鯉口を切る。ぐ、と親指に入れた力を打ち消すように、目の前に腕が伸びてきて、俺が柄に触れるより先、柄尻を押さえて抜刀を封じる。ぞっとした。速い。見れば、隣に距離を詰めてきた山姥切が、俺の柄尻と右手を押さえている。
「目が覚めたか」
平坦な声だった。どく、と強く心臓が脈打つ。これは緊張だ。うなじに脂汗が滲み、つ、と落ちるのを感じる。
「大丈夫だ。敵はいない。急に起こしてすまない……主の話が終わったらしい。行こう」
改めて俺の柄尻をぐ、と押さえ、ようやく山姥切の両手が離れていく。俺は抜刀しようとする所作が止まったまま、ややあって漸く体を動かせた。勝てない。思い浮かんだのはそれだった。練度の違いが如実に伝わった。山姥切を一瞥するが、既に縁側へと立ち上がっていた布の塊には見えていないだろう。
「大丈夫?」
加州に尋ねられ、ああ、と粗雑な返事を呟く。二振に続いて応接室に戻ると、主人の依代は倒れてただの紙になり、若い審神者がにこにことして座っているだけだった。
再び卓を挟んで座る。疾く帰りたかった。その帰りたいという欲求の先として、あの手狭な今の本丸がすぐに思い浮かぶのが不快だった。
「今日は本当にありがとうね、まんばちゃん、大倶利伽羅さん」
こちらを見て、何かに気づいたようであるのに相好を崩さない。この年齢の人の身であって、場慣れしているのか、肝が座っているのか。
「無理させちゃってごめんね」
僅かばかり申し訳なさそうに眉尻を下げられる。何も言わず、主の依代を仕舞った山姥切が立ち上がるのに合わせて室を出る。大門までが遠く感じる。若い審神者と加州は最後までついてきて、大門前で見送られた。
本丸に戻る。大門の柱に手をつき、歩くのをやめた。それを見て山姥切も足を止め、再び懐へと手を入れる。差し出された飴を見て、山姥切を見、仕方なしにもう一粒摘んだ。口に入れてすぐに噛み砕く。あ、と山姥切の声がしたが無視を決め込んだ。
「……いや、構わないんだが、口に長く残る方が効果は」
「いい。もう戻った」
「それは……そうなんだが」
口の中で言葉を飲み込んだ山姥切がその場から動かない。俺は動けないでいた。酷く気分が悪い。飴を含んだところで焼け石に水程度、本丸に戻ったのだから暫くここででも休んでいればこの気持ち悪さも回復するだろう。だが大門前である。門以外には何もない。先へ進み居住区に戻らなければ休むための自室も無い。
「……手を貸してくれないか」
とは山姥切の言葉だった。俺は意味が分からず、無言のまま目だけで山姥切を見て、それを無視する。今は何故か触れられたくなかった。触れてほしい時もない。放っておけ、と言おうとするが、言ったところで意味がないのを既に先の日で分かっている。
「俺の霊力を分ける。頼むから手を貸してくれ」
「……不要だ」
「大倶利伽羅」
「放っておけ、じき治るだろ」
「あまりここに残ると主が心配して様子を見に来るが、いいのか」
浅く呼吸をする。無理やりに顔を上げて、山姥切を見た。こいつは思ったより馬鹿じゃない。俺がどう言えば己が思う通りに動くかを知っている。癪だ。だが、こいつの言う事が脅しの一種であったとして、確かに放っておけばいずれ主が来るだろう。そちらのほうが俺にとっては不愉快だった。
「お前、いい性格してるな」
「あんたみたいなのは幾らでも相手している」
時折こうして俺よりも経験を積んだ物の言い方をする。仕方なしに手を差し出せば、手袋を、と言われるから、のろのろと外して再び差し出した。山姥切の手に握られる。白く、切りそろえられた爪、こいつの手が熱いのは恐らく俺の体温が下がっているせいだろう。
「冷たい」
端的な感想だった。やはりそうらしい。僅かに言葉尻に焦りも感じた。ぐ、と握られる手に力がこもる。しばらくそうされて、夜中に話したときのように、初めて飴を口に入れた時と同じように、段々と体が軽くなるのを感じる。これは恐らく悔しいという感情だろう。こいつの思う通りの結果になっている。俺一人ではままならない。それがのろいのせいにしろ、この刀の手を煩わせなければ自分の体調さえ管理できないのが腹立たしくて仕方がなかった。
「……大丈夫か」
「もういい」
「だが」
「離せ」
もう自室に戻れそうな程度には回復していた。山姥切はここでは潔く手を離し、俺が大門についていた手を下ろすのを不安げに見届けていた。
まだ足がふらつくか。思うが、なるべくまっすぐに歩けるよう意識しながら居住区へ向かう。
「しばらく休む」
「分かった。飯の時間には起こしに行く」
「要らん」
「……分かった。報告は俺からしておく。……必要な事だけを話しておく」
果たして何が必要な事なのか。ぐるぐると定まらない視界では考えがまとまらない。ともかくまともなふりをして歩かなければ。一刻も早く自分の室で眠りたかった。布団は敷けないだろう。一度寝て、起きてから寝直せばいいだろうか。あいつからどれ程の霊力を奪ってしまっただろうか。何もわからないまま、気づけば自室の前に居て、荒い息のまま中に入り、装束を変える力も出せないまま、武装だけなんとか外してそのまま畳へ倒れこむ。ああ、地面だ。もう目を瞑ってもいい。この中ならば誰にも何も隠さなくていい。瞼の裏に、今日見た不愉快な景色が不意に浮かび上がっていた。別の本丸の山姥切と、三日月宗近と、歯噛みをして短く唸り声をあげる。その後の意識は泥に沈む石のようにすぐさま眠りに落ちていった。